ドラゴンクエストに関連してRPGの歴史を考えるときに、避けては通れないと個人的に思っている記事があります。 それは「堀井雄二」さんの名前で「月刊ログイン1985年12月号」に掲載された「ゲームメイキング相談室」(p.240)の記事です。この記事は、他の方が作成された下記のリンク先でも紹介されています。
実は、かなり昔に、「ドラゴンクエストがウルティマとウィザードリィを参考にしていたことを示唆するドラクエ発売前に堀井雄二さんが執筆した記事」として、この記事の最後の部分を切り抜いた画像がネット上に流れたことがありました。
そのときに、この記事の存在を知ったのですが、その画像には引用元の記載がなく「記事が掲載された時期や、著者が本当に堀井雄二さんなのか」について、その時には確認できなかったので、取り上げることができずにいました。
今回、リンク先の情報から私自身も引用元をたどり「ちょうどドラクエの開発がはじまったと思われる時期に堀井雄二さんの名前で書かれた記事」であることの確認がとれました。引用元の情報を明記してくれたリンク先の作成者に感謝します。
ここでは、この記事に記載されている内容と当時のパソコンゲームとの関係をまとめたいと思います。この記事には「ウルティマ」と「ウィザードリィ」の名前が出ていますが、自分がこれまでに書いてきたこと(それ以外のゲームの要素も含んでいる)と、この記事で「主張されている考え方」との間には、大きな食い違いはないだろう、というのが自分の主な結論になります。 なお、これ以降は、引用と明記している部分(イタリックで記載)をのぞき、自分なりにまとめた表現を使っています。実際の記事の具体的な表現や内容については原文をご確認ください。
また、後半では、これに関連して、ゲームの歴史を語ることに関する最近の動向についての自分の意見を書いています。文章全体が少し散漫で、感情的な表現も少し使っているのですが、興味があれば後半のほうも読んでみてください。
ちなみに、自分がこれまでに書いてきた文章は、下記のリンク先から読むことができます。興味があればそちらも参照ください。
初代ドラゴンクエストに対する自分の意見については、下記のリンク先の文章が短くまとまっていて読みやすいと思います。
目次
この文章でとりあげる記事は、初代「ドラゴンクエスト」(エニックス,1986.5)の開発がはじまったと思われる1985年の年末に、月刊ログインに掲載された「ゲームメイキング相談室」(p.240, 1985.12)です。この記事は、ゲーム作りに関する相談に堀井雄二さんが答えるという、Q&Aの形式をとったものになっています。なお、この相談室のコーナー自体は他の開発者も参加していて、12月号は全部で4ページ(pp.240-243)あり、最初の2ページを堀井雄二さんが担当しています。今回とりあげるのは、そのうちの最初の1ページ目になります。
相談の内容は、自分が考えていたゲームの設定に似たゲームが発売されてしまい、それでも作るべきかどうか悩んでいる、というものです。それに対する直接の回答としては、もっとすごいものを作ってやると思うなら作るべき、まとめとしては、先を越されたくらいでめげずに追い越してやればいいのではないか、という趣旨の回答をしています。
そして、その話の中で、類似した作品を作ることに対する堀井雄二さんの様々な見解が記されています。
例えば、新しい設定などはやく出尽くして欲しいと思っていること、いずれ中身で勝負する時代がやってくること、同じような設定で競い合うことでゲームが進化していくと考えていること、などです。
その話の流れの中で、「ウルティマ」「ウィザードリィ」「クエストロン」とアドベンチャーゲームなみのドラマ性を組み合わせたゲームを遊びたいと語り、ゲームの開発者に対して下記の引用文のような提言をしています(第3カラム,l.14~)。
どうして誰もつくらないのか?マネッコだといわれてもいいじゃないか。オリジナリティーなんかなくったっていい!
あくまでも、ゲーマーの立場としては、面白いゲームがやりたいだけ、ということのようですね。
ゲームデザイナーの立場はおいておくと記事の中盤に書かれているので、それが前提にはなりますが、ちょうどドラクエの開発が始まった時期に、堀井雄二さんがこのような主張を世間に向けて発信していたことが、この記事から確認できます。
この記事は、「ドラゴンクエスト」が「ウルティマ」と「ウィザードリィ」を参考にしたことを示唆する「当時の資料(後づけで書かれたものではない資料)」としてとりあげられることがあります。
しかし、個人的には「具体的なゲームの名前」よりも、上で引用したような「主張されている考え方」のほうが重要なのではないかと思っています。なぜなら、記事で具体的に提案されているものと、初代「ドラゴンクエスト」とでは、組み合わせ方がかなり異なっているからです。
この記事では、ウルティマ、ウィザードリィ、クエストロン、の3つのゲームの具体的な組み合わせ方として、下記の提案がなされています。
ウルティマ | ゲームシステム |
ウィザードリィ | 成長システム |
クエストロン | 迷宮 |
しかし、初代ドラゴンクエストの実際の構造を詳細に確認すると、この提案とはかなり異なっていることがわかるだろうと思います。
「ウルティマ (Ultima)」は1981年に1作目がオリジン社から発売されたRPGのシリーズで、記事が執筆された時点では、第4作目(Ultima IV:Quest of the Avatar, Origin Systems, 1985.9)までが発売されています。
初代「ドラゴンクエスト」は、確かに「2Dマップによる地上と町の移動のシステム」と「会話のシステム」については「ウルティマ」シリーズの2作目に似たものになっています。ウルティマIVの「城で復活するシステム」も、初代ドラクエで採用された有名な仕組みですよね。しかし、これら以外の「ゲームシステム」、例えばRPGにとって重要な「戦闘システム」や、プレイのしやすさに関わる「入力システム」などは、「ウルティマ」とはかなり異なっています。
「戦闘システム」については、むしろ現代では「ウィザードリィ」との共通点(対面で敵と対峙するコマンド選択式の戦闘システム)が強調されることのほうが多いです。
※迷宮での「敵の表現」に限定すれば、マップの中央に大きな敵の絵を重ねて表示するという点で、初代ウルティマとの類似点も指摘はできます。ですが、ウルティマではプレイヤーの4方向の「向き」が戦略的にかなり重要になるので、戦闘システムの仕組み自体が類似しているとは言いにくいと思います。
また、「ウルティマ」の「入力システム」は、各行動に割り当てられたアルファベットのキーを押す形式でした。それに対して、ドラクエの入力システムは、「クエストロン」や「夢幻の心臓」(共に1984年発売)などで採用されていた「方向キー」で操作をする「メニューによる選択方式」になっています。
ウルティマの「ゲームシステム」の「一部」が類似しているとは言えるのかもしれませんが、ドラクエには、それ以外の別のRPGが採用していた「ゲームシステム」もふくまれているわけですね。
「ウィザードリィ (Wizardry)」は1981年に1作目がサーテック社から発売されたRPGのシリーズで、1985年の時点では3作目までが発売されています。
この記事では、「ウィザードリィ」については「成長システム」を組み合わせる提案がなされています。
「ウィザードリィ」の「成長システム」の特長には、例えば「宿屋で宿泊することによりレベルアップすること」や「途中でクラスチェンジができること」などがあります。 しかし、初代「ドラクエ」には、これらの特長はありません。
ドラクエで採用されている「戦闘終了後に小気味よい音楽とともにレベルアップし、能力がアップして可能なら魔法を覚える」という成長の仕組みは、むしろ「夢幻の心臓II」などと類似しているように思います。 また、クラスチェンジのシステムは、ドラクエでは3作目ではじめて導入されていて、初代やIIには採用されていませんでした。
「クエストロン (Questron) 」は1984年に SSI(Strategic Simulations、Inc)から発売されたRPGです。2作目もありますが、かなり時間が経過した1988年に発売されています。ウルティマやウィザードリィとは異なり、日本語版は発売されていません。
この記事でとりあげられている「クエストロン」の「迷宮」の特長については、少し補足の説明が必要だろうと思います。 ただし、私はこのゲームについては、実際にプレイをした経験がないので、ネット上に掲載されていたプレイ動画で内容を確認したうえでの説明になることはご理解ください。
この記事に書かれた 3 つのRPG、「ウルティマ」「ウィザードリィ」「クエストロン」には、それぞれ「3D形式の迷宮」(左右90度の回転と前進の操作で移動可能な一人称視点のダンジョン)が導入されています。具体的な例として、下図の左に「ウルティマIV」、右に「クエストロン」のAppleII版の迷宮の画面が表示された部分を引用しました。
左に引用した「ウルティマIV」の画面を見ると、迷宮の内部が立方体の組み合わせで表現されていることが確認できます。これと同様に、この時期までの「ウルティマ」と「ウィザードリィ」のシリーズでは、立方体をベースにした迷宮の表現が使われていました。
それに対して、右に引用した「クエストロン」の画像では、迷宮の内部が曲線なども使ったイラスト風の線画で表現されています。記事では明記されていませんが、ウルティマやウィザードリィにはない「クエストロン」独自の「迷宮」の特長として想定しているのは、おそらくこのイラスト的な表示方法のことではないかと思います。
そして、1980年代のドラクエシリーズ(初代~III)では、「3D形式の迷宮」そのものが使われていませんでした。みなさんも知っているように、「ドラゴンクエスト」の「迷宮」は、2D 形式で表示されたマップの上を東西南北の4方向へ移動する形式になっています。
迷宮を2Dで表現する形態は、むしろ「ハイドライド」や「アークスロード」、「夢幻の心臓II」などの特長といえるでしょう。「夢幻の心臓II」の「迷宮」は「明かりをつけると視界が一時的に広がり、その見える範囲が徐々にせまくなっていく」という仕組みになっていますが、初代「ドラゴンクエスト」の「迷宮」にもこれとほぼ同じ仕組み(ただし魔法の明かりのみ)が導入されています。「迷宮」については記事で示された 3 つの RPG よりも、「夢幻の心臓II」のほうが類似点が多いと言えるでしょう。
※なお、「クエストロン」では、「地上」と「3Dダンジョン」の他に、「王様のいる城」と「ラスボスのいる地下の施設」が、「2D形式のマップ上で探索ができ、戦闘も発生するフィールド」になっています。ですが、「ウルティマ」シリーズの2作目以降の「城」や「町」も同様の特長をもっています。ですから、ウルティマとウィザードリィにはないという文脈で使われているこの記事の「迷宮」は、これらの2Dマップのことではなく、3Dダンジョンのことだと解釈するのが自然だと思います。
記事では上述した3つのゲームの他に「アドベンチャーゲームなみのドラマ性」が提示されています。これについて考える前に、記事の中で「ドラマ性」について語っている「もうひとつの部分」に目を向けてみたいと思います。
それは、中央のカラムの下あたりの「ウルティマII」にはない要素を語っている部分です。具体的には各情報がからみあって「伝説」を解き明かしていくようなドラマ性が欲しかったというような趣旨のことが書かれています。
RPGで「伝説」といえば、当時のPCゲームプレイヤーは、まっさきに「ハイドライド」の「伝説」を思い浮かべるでしょう。初代の説明書には「HYDLIDEの伝説」が記載されていましたし、広告などにも頻繁に掲載されていました。下図の右に「ザ・トリロジーズ」(ProjectEgg, 2022)で復刻された「ハイドライド」のマニュアルから該当する場所(p.1)を引用したのでご確認ください。広告については、マイコンBASICマガジンの1985年初頭の広告などを見れば「LEGENDS OF HYDLIDE IN FAIRYLAND…(ハイドライドの伝説)」などの表記で、ストーリーを強調していたことが確認できると思います。
また、初代「夢幻の心臓」に付属していた「夢幻界創世記」や、「夢幻の心臓II」のマニュアルの後半に掲載された「魔神と戦士の書」に掲載されていた文章なども、内容としては、その世界の「伝説」のような位置づけになっていたと思います。具体的な例として、同じく「ザ・トリロジーズ」で復刻された「夢幻の心臓II」のマニュアル(p.31)を上図に引用しました。文章を読むと、主人公が「伝説の騎士」とされていることが確認できます。
マニュアルなどの付属品で「伝説」が語られ、ゲームの中でそれに関連する要素が次々に登場するという構成は、この時期の日本の国産パソコンRPGではよく使われた手法のひとつだったように自分は思います。
もし、こういった背景の知識がなければ、記事のこの部分について「それまでのRPGにはない独自のアイデアを述べている」と解釈をするかもしれません。しかし、背景の知識があれば、この部分については「「ウルティマII」にはないけれども他のRPGにはある要素の説明をしている」と解釈できるだろうと思います。
自分は歴史学については完全に素人ですが、文献を読む際には、こういった背景についても十分に調べたうえで、解釈をしていく必要があるだろうと思います。
マニュアルではなくゲームのシステム的な側面に注目をした場合、「ドラゴンクエスト」には、具体的にどのような「ドラマ性」が導入されているのでしょうか?
初代ドラクエの「システム的な構造を使ったドラマチックな展開」といえば、例えば「姫を救出して城へ連れて帰る」「魔術師のようなラスボスを倒すと巨大な竜が正体をあらわす」「城に凱旋するとラッパの演奏で祝福される」といった事例があげられると思います。 また、ドラクエIIの仲間との出会いについても「行く先々ですれちがいになる」とか「別の姿に変えられていて人間の姿に戻す」といったドラマチックな演出が導入されています。
これらについては、すでに私がこれまでに書いた文章の中で指摘をしてきたことなのですが、ドラクエ以前のパソコンRPGに類似した演出が存在しています。「夢幻の心臓II」「アークスロード」「クエストロン」「覇邪の封印」などのゲームを調べてもらえれば、表現のしかたは異なっていますが、同種のアイデアが採用されていたことが確認できると思います。
下記のページで詳しく説明をしていますので、興味があれば読んでみてください。
つまり、記事には「アドベンチャーゲームなみのドラマ性」と書かれているのですが、実際の「ドラゴンクエスト」には、「当時のPCゲームであつかわれていたロールプレイングゲームのドラマ性」が形を変えて採用されているのです。
ちなみに「ザ・スクリーマー」(マジカル・ズゥ1985)や「地球戦士ライーザ」(エニックス,1985.12)などの当時のロールプレイングゲームでは、エンディングで「どんでんがえし」や「悲劇」すら描いていました。
当時のロールプレイングゲームでのシナリオの描きかたの事例は、下記でも紹介していますので、参考にしてください。
これらの事実から、この記事で提案されているものと、「ドラゴンクエスト」とでは「かなり内容に違いがあること」がわかってもらえたのではないかなと思います。 むしろ、「ウルティマ」「ウィザードリィ」「クエストロン」だけにとどまらず、日本の国産RPGもふくめて、当時のパソコンゲームの様々な要素をふんだんに取り入れた形になっている(意識的だったかどうかは別にして)と言えるでしょう。
もちろん、既存の様々なRPGのアイデアを、うまくまとめて1本のゲームにしているところなどは、ドラクエのとてもすばらしい点のひとつだと思いますし、アクション要素をふくまないRPGをファミコン向けに開発して販売した点などは、初代「ドラクエ」の新しい試みだったと思います。
他の文章でもいろいろと書いていますが、私はドラゴンクエストを批判するつもりはありません。すばらしいと思う点については、これまでに書いた文章でも指摘をしています。
その一方で、歴史を語るのであれば、開発者のひとりである堀井雄二さんが、あくまでもゲーマーとしての立場と強調してはいるけれども、ちょうど初代ドラクエの開発がはじまった時期に、パソコン雑誌の紙面上で、ゲームの開発者に対して「マネッコだといわれてもいいじゃないか」「オリジナリティーなんかなくったっていい」などの主張をしていたということも、当時の資料にもとづいて理解をしたうえで、歴史の調査や議論をして欲しいと思います。
自分としては、意図的だったかどうかは別にして、「ドラゴンクエスト」のゲームの内容は、この記事で「主張されている考え方」が反映された形になっている、と言えるのではないかと考えています。
いろいろな立場や考えの人がいるとは思いますが、多くの人たちが、このような根拠となる資料や、当時の雑誌やパソコンゲームの情勢、具体的なゲームの中身などもきちんと確認をしながら、検討を重ねていくことが大切なんだろうと思います。
【重要な補足とお願い】ドラクエのすばらしいと思うところを書くと、よけいな尾ひれをつけて当時のPCゲームを歪めながら誇張をして拡散する人が出てくる可能性が高いので、念のために補足をしておきます。当時のパソコンRPGにまとまりがなかったというわけではありません。例えば「夢幻の心臓II」は「ゲームの中で体験するイベントなどの様々な要素」を、「マニュアルに掲載された「ストーリー」や「魔神と戦士の書」など」と関連づけることで、ひとつの壮大な物語を描いたりもしていました。とてもよくひとつにまとまった作品と言っていいと思います。あくまでも、ドラゴンクエストも、それと同じように、それぞれの要素が上手にまとまっている、ということであって、そのようなゲームが他になかったわけではありません。こんな記述をしなければならないこと自体がとても残念なのですが、おかしな誇張などがなされないことを願っています。
ここからは、記事の話から少し脱線をして、ゲームの歴史の話に関する最近の傾向について、思ったことを書きたいと思います。話の流れが少し散漫で、一部では少し感情的な表現も使っていますが、ご理解ください。
なお、かなり長い文章なので趣旨を簡潔に書くと、「資料や記録などの根拠が大事」「当事者への質問と資料の確認は両方重要」「有名人でも間違えることはある」「発言がどんな意味を持つのかよく考えて欲しい」といった話をしています。
少し前に、歴史学の専門家の人が「歴史は事実ではない」と話していたのを聞いたことがあります。
最初にこの言葉を聞いたときには、専門家ですら「ささいな事実は無視してもいい」とか「勝った者が歴史を作る」みたいなことを考えているのかと思ってビックリしたのですが、実際にはそうではありませんでした。自分なりの言葉で話の内容を簡潔に説明するとしたら、次のようになります。
「たとえ「事実」であったとしても、記録や物品などの証拠がなければ「歴史」とは言えない」
例えば、ある人がある日にカレーライスを食べたとしても、その記録を残さずに亡くなってしまったら、その日にカレーライスを食べたことがたとえ「事実」だったとしても、後世の人は、その確認ができないので、それを「その人の歴史」とみなす事はできない、ということです。
これは言い換えれば、「歴史」は「事実そのもの」ではなく、あくまでも、残された記録や史料や物品などにもとづいて検証を重ね、矛盾がない形で整理した「現時点でもっとも確実だろうとみなせる説明(である/でしかない)」ということになるかと思います。
このような証拠を重視する考え方は、自然科学なども一緒ですよね。自然科学の理論も、けっして「普遍的な真理」ではなく、あくまでも、現時点で観測できる自然界のあらゆるデータにもとづいて検証を重ね、他と矛盾せず整合性がとれていて再現性もあるような形で整理した「現時点でもっとも確実だろうとみなせる説明(である/でしかない)」という側面があります。 例えば、観測機器が発達して精度が上がったり新たな観測結果が得られたりしたら、それにもとづく検証がおこなわれ、現在の理論が改善される(適用範囲や精度などの変更もふくめて)のが、自然科学のひとつの側面です。
証拠にもとづいた改善の仕組みがあるからこそ、自然科学は信用できるわけですよね。 そして、歴史学もそれと同じだと、この話を聞いて自分は理解しました。
当時のパソコンゲームに関して、根拠となる資料をまったく示すことなく、高圧的な表現や断定的な口調だけで相手を否定するような発言を見かけることがあるかもしれません。そんな発言を見かけたときには、賛同をする前に、「何を具体的な根拠としているのか」を、よく確かめてみていただければと思います。
記録が残っていなければ、それが仮に事実であったとしても、後世の人たちは正しいかどうかの判断をすることができません。 そこで、最近では、当時のゲームの関係者が存命のうちに話を聞いて、その記録をまとめる活動が重要視されています。そのようないわゆる「オーラルヒストリー」の記録は、ネット上でも例えば立命館大学ゲーム研究センターやゲーム保存研究所などのWebサイトで読むことができます。
ゲームの開発者に聞くことでしか明らかにならない事は、たくさんあると思います。例えば、あるゲームの開発者側から見た事情などの中には、そのゲームの関係者本人に聞く以外には知る方法がない事もあるでしょう。ですから、もちろん自分も、その重要性についてはとても良く理解しているつもりです。
ですが、その一方で懸念していることもあります。「関係者の発言」と「当時の雑誌やゲームそのものなどの資料」を対立するものとみなして、前者のみをことさらに重要視し、後者をないがしろにするような考え方への懸念です。
まだそれほど広がってはないと思いますが、 例えば、当時の雑誌やゲームの内容などのリアルタイムな資料を細かく調べて整理するような活動に対して、X(旧twitter)などで、「本人に聞けばいいのに、なぜ聞かないのか」などと言って、それ以外の活動が無意味な行為であるかのように、さげすむ発言がなされているのを見たことがあります。
しかし、これらの2つは、けっして対立するものではなく、どちらも歴史にとって重要なことだと自分は思っています。
もちろん、当時の雑誌の記事などの中には、宣伝目的で誇張されていたり、大人の事情で書けないことがあるなど、必ずしも事実だとはいえない部分もあるだろうと思います。そういう意味では「慎重に扱わなければならない」ものです。 ですが、今この時に開発者から聞き取った話も「慎重に扱わなければならない」という点では同じです。記憶は簡単に変容してしまうものですし、手元に当時の資料などが残っていなければ、30年以上も前のことを少しの間違いもなく正確に思い出して話すことができるとは限りません。また、現在でも、大人の事情で話せないことも、あって当然だろうと思います。きっと「墓場までもっていくつもりの話」がある人もいるでしょう。
「関係者の発言」と「当時の雑誌やゲームそのものなどの資料」は、相互補完的に用いるものであって、けっして「一方だけが真実で、他方はないがしろにしていい」というものではないと思います。
私はただの一般人で、開発者とのコネなどはもっていません。ゲーム関連の記者や研究者でもないので、正規のルートで関係者に依頼ができる立場でもありません。開発者の友達もいないので「個人的に気軽に聞いてみる」ようなこともできません。ですから、ゲームの開発者から聞き取りをする活動などは、そういったことができる人にまかせたいと考えています。
その一方で、私は当時、小中学生(時期によっては高校生)でPCゲームを楽しんでいました。ですから「子どもの立場で当時のPCゲームをリアルタイムに遊んでいた」という意味で、遊んでいた側の「当事者」ではあります。 あるゲームの開発者側から見た事情の多くは、その開発者にしかわからないと思いますが、例えば、その当時にどんなゲームが存在していたのか、雑誌でどのような情報が得られたのか、などの話題であれば、ゲームの「開発者」と「遊んでいた側の当事者」の立場は、ほとんど違わないはずです。逆に、当時にPCゲームで遊んでいた小中学生の事情や状況については、すでに社会人だった開発者よりも私のほうが詳しく話せるかもしれません。
「開発者」であっても「遊んでいた側の当事者」であっても、当時の資料などを確認せずに、印象や記憶だけに頼ると、間違ったことを言ってしまう可能性はあります。 もちろん、開発者側から見た事情などについては資料がまったく残っていなくて本人に聞くしかないこともあるとは思います。ですが、そうではない事柄もあるわけですから、可能な範囲で検証可能な資料などの根拠をできるだけ示すことは重要だと思います。また、確認ができるまでは安易には断言しないことも重要でしょう。
例えば、「玉座の下に、地下へのかくし通路がある」というドラクエの仕掛けについて、自分には「2D画面での古い採用例があったはず」という、確信に近い感覚がありました。ですが、どのゲームだったかどうしても思い出せず、根拠が示せなかったので、文章に書けない状態が続いていました。 絶対あったはずだという感覚があったので、自分が当時遊んでいたRPGをかなりいろいろと確認してみました。しかし、どうしても見つけることができず、アドベンチャーゲームの記憶違いかと思って探す範囲を広げてもみましたが、長らく見つけられない状態でした。
最終的には、シミュレーションRPGの攻略情報などをながめていた時に、それが「アリババ」(Stuart Smith, 1982 / スタークラフト,1985.2移植)のゲームクリア後の地下宝物庫だったことを思い出し、自分の感覚が事実だったことを確認できました。そして、証拠が見つかってようやくその情報を文章へと追記することができました(ここから参照できます)。ちなみに、その後も追加で調べてみたところ、アドベンチャーゲームの「聖なる剣」(XTAL-Soft,1983)でもこの仕組みは採用されていたようです。
開発者のオーラルヒストリーだけでなく、このような、リアルタイムにゲームを遊んでいた当事者が、記憶をたよりにしつつも事実かどうかを当時の雑誌やゲームの中身などで確認したものも、重要な情報のひとつだろうと自分は思います。
※ひとつ補足しますが、あくまでも「自分個人の思い出」として語るのであれば、記憶違いの可能性はあることが前提になるので、ここまで慎重になる必要はないだろうとも思います。事実を調べるきかっけにもなりますし、気軽に昔話ができる場も重要ですしね。 ただし、もちろん、「主語」が「自分個人」だと誤解なく伝わるようにして、過度な一般化などもしないことが必要ですが。
有名な開発者や編集者の人たちの発言の中にも、明らかな間違いだと思えるものがあります。アドベンチャーゲーム(以後AVGと表記)の「コマンド選択式」に対する誤解などは、その典型だと思います。
当時、山下章さんの記事を熱心に読んでいた自分のようなAVG好きにとって、「「オホーツクに消ゆ」が、国産初のコマンド選択式AVGではない」ことは「常識」レベルの話だと思っていました。
自分はベーマガに掲載された「ミコとアケミのジャングルアドベンチャー」(以後「ミコアケ」と表記)の記事(電波新聞社, マイコンBASICマガジン1984年5月 付属 スーパーSOFTマガジン, pp.4-9)を発行時に読んでいて、ミコアケでコマンド選択式が採用されていたことは知っていましたし、このゲームにとてもあこがれていました。その後に「英雄伝説サーガ」(マイクロキャビン,1984.8)や「オホーツクに消ゆ」(ログインソフト,1984.12)などのコマンド選択式AVGが次々に発売されていくのも、リアルタイムに体験しています。
ですが、これとはまったく逆のことがいろいろな場所で言われはじめていることに気がつきました。例えば、自分が一連の文章を書くきっかけとなった「ゲーム語りの基礎教養」の記事では、コマンド選択式のアイデアが初めて採用されたのは、堀井氏のアドベンチャー第2作である『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』だ、と断言されていました。そんなことは絶対にないはずだと思って、ネット上でいろいろと調べてみたところ、2010年から2015年あたりにかけて、同様の発言をしている有名な開発者や編集者がそれなりにいることがわかり、とても驚きました。
自分の記憶違いかと思って、当時の雑誌などで発売順などを確認しましたが、自分が記憶していた内容で間違いはありませんでした。それでも、一般には信頼されているような立派な開発者や編集者の人たちが、自信満々に断言していたので、疑心暗鬼におちいってしまい、自分のほうが何か見落としているのかもしれない(例えばPC-6001版がミコアケよりも前に発売されていたのかもしれない)などと思い悩んで、何度も何度も資料を見返したりもしました。
しかし、追加で当時の様々な雑誌を何度確認しても、有名な開発者などが断言している内容のほうが間違っているとしか判断できませんでした。例えば、月刊ログイン1985年1月号の記事(pp.118-119)でも、「PC-6001」などの機種が書かれている部分に「12月21日発売予定」と書かれています。ミコアケのほうがオホーツクよりも前にコマンド選択式のアイデアを採用しているのは、どの資料からも明らかでした。自分としては間違っているとしか言いようがないのですが、もし正しいというのなら、きちんと具体的な資料を根拠として示して欲しいと思っています。
そして、もし、ご自身でも当時の資料などをあたってもらった結果として、確かに間違っているという結論が出せたのなら、この間違いがこれ以上広がらないようにしてもらえたら嬉しく思います(さすがに上であげた人たちも2024年の今では正しく理解してくれていると信じたいですが)。
これに関連して、「とても有名で権威のある人が言っているのだから、何か意図があるんじゃないか」というような趣旨の「つぶやき」も見たことがあります。しかし、本当に意図をもって間違ったことを言っているのだとしたら、そちらのほうが大問題です。 知識不足だったり忘れてしまったりして「単に間違えてしまった」のならしかたがないと思いますし、説明の都合などで「誤解を与えやすい表現を使ってしまった」のなら後の努力で挽回(例えば今後は配慮をするとか訂正の情報を広めるとか)することもできると思います。どんな人であっても、間違いやミスや言葉不足で語ってしまうことはあるでしょう。 ですが、そうではなく、間違いだと知っていながら、何らかの意図があってそれを広めているのだとしたら、それは「デマを流している」としか言いようがないです。
どんなに有名で権威があり多くの人たちが信頼している開発者や編集者が自信満々に断言をしていたとしても、あるいは、どんなに多くの人々がそれに賛同していたとしても、それを示す証拠が新たに出てこない限り、「「オホーツクに消ゆ」が日本初のコマンド選択式AVGだ」というのは「間違い」です。それを「正しい」と言うことは、自分にはできません。
こんなことを書いていると、「ゲームの開発者を尊敬していないのか?」などと思われるかもしれません。ですが、自分は、当時に様々な体験をさせてくれたゲームの開発者の方々や、ゲームの情報を提供してくれた編集者や記者などの関係者のみなさんに、とても感謝をしていますし、尊敬もしています。ただ単に、その対象を「今、名前がよく知られている有名な開発者や編集者だけ」に限定していない、というだけのことです。
以前書いた文章(下記のリンク先)でも紹介をしていますが、「チャレンジ!!パソコンアドベンチャーゲーム」(山下章 著, 電波新聞社, 1985.11)には、ミコアケの開発記が掲載されていて、そこには、コマンド選択式を採用したことに対する思いも記されています。
このような当時の人々の思いをつづった記録を無視し、何の根拠も示さずに、間違っていることを正しいと言ってしまったとしたら、それは、「当時に生きてきた人々の尊厳をふみにじり、発言者の権威や数の暴力で歴史をめちゃくちゃに破壊すること」に他ならないと思います。
当時の開発者を尊敬しているのだとしたら、安易にそんなことはできませんよね。
話をもとに戻しますが、開発者や編集者の話の中にもミスや間違いはあるわけですから、もしそれに気づいたら、ぜひ自発的に訂正などをして欲しいと思っています。
自分はこれまでに、ドラゴンクエストに関連して、当時のPCゲームに関する文章をいろいろと書いて更新してきました。
ドラクエの開発者の人たちが当時のPCゲームについてどの程度知っていたかについては、「おそらく知っていただろうとは思うけれども、実際のところはわからない」という立場をとっています。ドラクエとそれ以前のPCゲームとの間には様々な類似点がありますが、「意識的にマネをした」のか「無意識に影響された」のか、それとも今回の記事の回答のように「知ってて追い越してやろうと思った結果」なのか、などについても「わからない」として断言を避けています。 これまでに書いた文章でも、基本的には「当時はこの要素を参考にすることができた」とか「この要素が導入されている。ただし意図的かは不明」などのスタンスをとっていて、そこを「踏み越える」ような表現は使っていません。
実際にどうだったかについては、開発者や関係者の人たちなどの「本人が自発的に話したいと思ったときに話せばいい」と思っています。
これに対して「なぜ関係者に取材をしないのか」とか「本人に聞けばいいのに、なぜ聞かないのか」と言いたくなるかもしれません。もし、そう言うのであれば、他人に頼るのではなく、ご自身で関係者に質問をすればいいと思います。ただし、質問するのであれば、回答に対する覚悟は必要です。
例えば、仮に「当時のPCゲームについては全く知らなかった」と回答されたとしたら、それがどんな意味をもつのか、についても、よく考えてみてください。
自分がこれまでに取り上げてきたPCゲームの情報には、全部ではありませんが、小中学生だった当時から知っていたものが結構あります。上であげた「ミコアケがコマンド選択式だったこと」などはリアルタイムに知っていましたし、当時の資料などからも裏付けることができる典型的な事例のひとつです。 その一方で、堀井雄二さんはPCゲームのライターをしていました。 それにもかかわらず、これらを全く知らなかったのだとしたら、PCゲームで遊んでいた小中学生にも劣るような情報収集能力しかない、勉強不足で無知なライターだったことになってしまいます。自分はそんなことはないだろうと思っていますが、もしそう回答されたとしたら、今後はこう評価せざるをえなくなります。
関係者の発言がどんな意味をもつのか/どんな意味をもってしまうのかについても、当時の資料などにもとづいて、よく考えて欲しいと個人的には思っています。
最近、ネット上で「関係者に聞けばいい」というような発言を本当によく見かけるようになりました。 友達としての関係を築いている人であれば、センシティブな内容であっても気軽に質問できるのかもしれません(上の話がセンシティブかどうかは別にしてですが)。研究者などの立場であれば、取材の申し込みはできると思いますし、オーラルヒストリーをまとめている研究者の方々には継続的に頑張って欲しいとも思います。でも、そうではない一般人にとっては質問をすること自体が難しいと思いますし、質問されても困る関係者はいるでしょう。業界の慣習などについてもよく知らないですしね。一方で、当時の資料などを調べて確認することは、そういった立場でなくてもすることができます。また、関係者や研究者が見落としている点に気づけるかもしれません。いろいろな人たちがお互いを尊重しあいながら、そしてあくまでも「証拠」を重視しながら、できる人ができることをしていくことが大切なんじゃないかなと思います。
この文章を最初に書いた少しあとに、「ゲーム文化保存研究所」のサイトに下記の興味深い記事があがっていたので、補足をしたいと思います。
この記事は、オーラルヒストリーの記録のひとつとして、ドラクエ9の宝の地図の発見者として有名になった方へインタビューをしたもののようです。ドラクエ3のリメイクが発売される直前の2024年11月8日に公開されています。
インタビューを受けている方が、とても素直に話をされていて、当時の状況や雰囲気がよくわかる貴重な記録になっていると思います。ただ、それだけではなく、もうひとつ、とても興味深い点がありました。それは「インタビュアーの立ち位置」がとてもよく記録されているところです。
この記事で話題にあがっているドラクエに関する体験談のひとつを、自分なりに解釈すると「ドラクエシリーズは子どものころに友達からの協力を得ながらクリアした」ということになるかと思います。
これに対して、インタビュアーの方は「クリアできるゲームだった」という結論へと話をもっていこうとしている印象をうけました。例えば「発売前の前情報から楽しんでいた『ドラゴンクエストIV』」の章の中で、回答者はドラクエIVの2章でセーブができずに翌日、学校で友達に聞きました
という話をしています。ですが、インタビュアーは章の後半でドラクエ4も小学生でも頑張ればクリアできるようにはなっていたということですよね
という「回答の誘導」をしています。それまでの話の内容からは「友達に協力してもらわなければクリアできなかった」という解釈もできると思うのですが、そういう結論にはしていないんですよね。そして、回答者もこの誘導にはのらずに話題を変える対応をしています。
また、回答者は大学時代にパソコンでゲームをしていて2000年代の初期はMMORPGが流行っていて、2~3日徹夜してプレイすることもありました
と、かなり熱心なMMOプレイヤーだったことを述べています。自分としては、この時期の状況についていろいろと語ってくれたら興味深いだろうと思ったのですが、インタビューアは簡単な質問をしただけですぐにドラクエの話へともどっています(vol.2へ続くようなので、そちらでは話しているのかもしれませんが)。
記事の主題が「ドラクエ9の宝の地図の発見者」へのインタビューなので、ドラクエシリーズを中心にすえて聞き取りをしていて、それ以外にはあまり関心がなく、シリーズに対しても否定的な雰囲気の話はしない、という方針をとっているような印象があります。 このオーラルヒストリーの記事は、プレイヤーの経験をフラットに聞き取って記録をするというよりは、質問者の意図も強く影響/反映した「インタビューの記録」といえるのかもしれません。ある意味で少し「かたよった記事」になっていると思いますが、どんなインタビューであってもある程度の著者の意図は入るものですし、このような記事も、歴史を語るうえでは貴重な情報のひとつだと思います。
重要なのは、このような記事の全体を「読む側がどう解釈するか」でしょう。インタビューをする側の意図なども文章の中にふくまれた「現時点でのインタビューの記録」として、他の記録などとも突き合わせながら活用をしていくことが大切なんだろうと思います。
※12月6日に最終話と思われるVol.3が掲載されていたので全体の感想を書いておきたいと思います。記事を連載の最後まで読んだところ、なぜ回答者が上述のインタビュアーの誘導にのらなかったのか、なぜMMORPGの話をしたのか、についての理由がよくわかる構成になっていました。
インタビューを受けた方は、ドラクエシリーズが一人でクリアするには難しい面があったからこそ、友達や家族との交流や思い出が生まれたと考えていて、そのつながりを重視した活動を現在も続けている人だったのですね。自分も子どものころにPC用アドベンチャーゲームを友達と一緒に悩みながら遊んだり、雑誌のQ&Aコーナーの投稿者に共感して仲間意識をもったりしていたので、それと似たような感覚だったのかなと推察しました。
Vol.1で違和感を感じたインタビュアーの回答の誘導も、この結論へ導くための伏線だったと考えると、全体としては納得感のあるインタビュー記事だなと思いました。上述したように興味深い内容の記事になっているので、ぜひ読んでみると良いと思います。
ドラクエ以前の国産パソコンゲームについて文章を書くうえで、今回とりあげた月刊ログインの記事は、いつかは取り上げなければいけないものだと思っていました。かなり苦労をしましたが、当時のPCゲームの状況と関連させた文章をなんとか書くことができました。
デリケートな扱いが必要な記事で、こちらの意図や記事の内容が誤解されないように、表現などにもかなり気を使わなければならず、書き終わるまでにかなりの時間がかかってしまいました。 実は2024年の8月末あたりから書き始めていたのですが、9月半ばあたりから、X(旧Twitter)でゲームの歴史に関する小さな炎上みたいなことが起きたり、ゲームの特許に関する話題があがったりして、さらに検討しなければならない事も増えました。いろいろと考えた結果として、前半の「この記事とPCゲームに関する具体的な指摘」と、後半の「最近の傾向について個人的に思うところ」の、2つに分けて書くことにしました。
最近、ネット上などで、ゲームの歴史に関連した話題で「根拠を示さない断言」や「口汚い言葉でののしりあう」ような状況を目にする機会が増えたような気がしています(昔からそうだったのかもしれませんが…)。
確かに「強い表現」を使いたくなることもあると思います。正直に書いてしまうと、実は、自分も最初に「ゲーム語りの基礎教養」の記事を読んだときには「はらわたがにえくりかえる」くらいに頭にきて、最初に書いた下書きの文章は、著者をかなり高圧的な表現で非難するものになっていました。 ですが、いろいろと考えたうえで、アップロードした文章では、原則として『「間違った内容」に対しては「根拠を示したうえで明確に否定をする」』けれども、『「間違った発言をした人や団体」に対しては「批判や非難はしない」』という方針をとることにしました。あくまでも原則なので、そうなっていない部分も少しはあるかもしれませんが。あと、こちらが攻撃されたり、限度をこえたりした場合には話は別だと思ってください(今のところは大丈夫そうですが今後どうなるかはわかりません)。
どんな人にも、得意な分野や不得意な分野はあると思います。それで間違えてしまうことは誰にでもあることですから、基本的には間違いに気づいて考え直してもらえるのなら、それでいいと思うようにしています。正しい情報を広めてくれるようになれば、さらにありがたいですよね。自分が間違えてしまったときにも、そうありたいと思っています。
自分も海外のゲームなどは知らないことが多くて、例えば「Gateway to Apshai」(Epyx, 1983)や「Alcazar The Forgotten Fortress」(Activision, 1985)などは、「 初期の国産パソコンRPGとAVGの発売時期 」を調べていく中ではじめて知りました。 中華圏で1990年あたりから「任侠」を題材としたRPGが発展していったらしいということも、日本ファルコムの海外移植作品「月影のデスティニー」(日本ファルコム, 2003,3 移植 / 原作 Seasun Software (西山居), 2001)の発売を見るまで知りませんでした。
あと、自分は完全に「ウルティマ派」だったので、「ウィザードリィ」については詳しくありません。ウルティマシリーズは、最初に遊んだ「ウルティマIV」をクリアして感動し、 VI と IX をクリアした後で、「ウルティマコレクション」で I ~ III と V をクリアしています(つまり日本語PC版の1~6と9はクリア済み)。その前身であり、GOG で無料で入手可能な「Akalabeth」もひととおりはプレイしています。一方、「ウィザードリィ」は機会があるたびに1作目を始めてみるのですが、いつも地下1階の途中で挫折してしまいます(気軽にセーブロードができない事に苦手意識がありまして…)。自分にとって、ウィザードリィは特に気をつけて当時の資料や動画などにあたる必要があるゲームですね。
昔から今へといたるコンピュータゲームの歴史は、とても豊富で多様な文化の中ではぐくまれてきたものだと思います。いろいろな立場や考え方の人々がいると思いますが、 それぞれにとって、知らないことも、まだまだたくさんあるはずです。 そのことを自覚して、かつ、あくまでも当時の資料や根拠にもとづいて、お互いに協力をしあいながら、現在よりももっと、ゲームの歴史を適切に語っていけるような日がくることを願っています。