このページは、1985年ごろのパソコンゲームの状況を前提にして「初代ドラゴンクエスト」を紹介する文章を書いてみたものです。
今まで、ネット上の記事をきっかけに「ドラクエ以前の国内パソコンゲーム」という文章を書いて更新してきました。2021年は初代ドラクエが発売されて35周年ということで、これまで調べてきた知識にもとづいて、自分なりにドラクエを紹介する記事を作ってみました。
なお、この文章は当時のゲームについて、かなりネタバレをしています。ご注意ください。
ドラゴンクエストは1986年5月に発売されたファミコン用のロールプレイングゲームです[※0]。今年、2021年は、初代が発売されてから35周年をむかえます。
発売元は、当時PCゲームのコンテストや企画・販売をおこなっていたエニックス。開発者は、PCゲームの分野で活躍していた「堀井雄二」さんや「中村光一」さん、それから別の業界のプロが開発に関わりはじめていたPCゲームの流れにそって[※1]、漫画家の「鳥山明」さんや作曲家の「すぎやまこういち」さんがキャラデザや音楽を担当。その他には「少年ジャンプ」の関係者なども開発に関わっています。
開発が始まった1985年の当時、国内のPCゲームではRPGが大流行していました。初代ドラクエは、国内外のパソコンRPGの様々なアイデアや面白さがたくさん詰め込まれた形になっています。当時のPCゲームのタイトルをカッコ書きで交えながら、少し紹介をしてみましょう。
ゲームは、ファンファーレからテーマ曲が流れるオープニング[※2 メルヘンヴェール]からはじまり、序盤は平原をうろつくスライムを倒してレベルアップ[※3 ハイドライド]することで主人公を強くしていきます。
シナリオの大筋は、数個のアイテムを集めてラスボスを倒すという、「ウルティマ」シリーズや「ハイドライド」「夢幻の心臓II」などでも使われていたシンプルな構造を採用。「ファンタジアン」や「アークスロード」などでも描かれていたいわゆる「勇者と魔王の構図」になっています[※4]。
旅の途中では、姫を助けて城へ連れて帰ったり[※5 夢幻の心臓II]、座標の情報をヒントにして探索したり[※6 ウルティマIV]、といった、シナリオを感じさせながらも世界を冒険する楽しさが盛り込まれています。
終盤では、ラスボスのいない城[※7 夢幻の心臓II]の秘密をあばいたり、「杖を持った男」を倒すと「ドラゴン」との戦闘になったりする演出[※8 アークスロード]などがストーリーを盛り上げます。
ラスボスを倒して城に凱旋すると、王様とお姫様の前でラッパが演奏される感動の演出[※9 クエストロン]がはじまり、そして最後には当時のアドベンチャーゲームなどで採用されていた映画風のエンドクレジットが余韻をもたらします[※10]。
上の引用画像が示すようにPCRPGには様々な演出が採用されていました。
ゲームシステムの面では、当時話題になっていたマルチウィンドウ風の画面構成[※11 ハイドライドII]や、戦闘終了時に小気味良い効果音とともにレベルアップし、能力が向上して可能なら魔法を覚えるというシンプルな成長システム[※12 夢幻の心臓II]、パスワード方式のセーブ・ロード[※13 MSX・ROM版ハイドライド]や、死んだら城で復活する仕組み[※14 ウルティマIV]、ジョイスティックだけで遊べるシンプルなメニューシステム[※15 夢幻の心臓II]など、当時のPCゲームが持っていた便利な機能がたくさん採用されています。
ここであげた以外にも、ドラクエには、当時の国内外のPCゲームの要素が数多く取り入れられています[※16]。まさに当時のPCゲームの文化が凝縮されたゲームとなっているのです。
開発者のひとりである堀井雄二さんは、PCゲームのライターをしていました。おそらく、その豊富な知識をゲームの開発へと生かしていったのでしょう。
当時のPCゲームは中学生・高校生をふくむ数十万人の規模の人たちの間で楽しまれていました[※17]。それに対してファミコンのプレイヤーは小学生が中心でした。
そのため、ドラクエでは、導入部分をチュートリアル風にしたり[※18]、世界観を少し犠牲にしてでも村人にシステム関連のセリフを言わせるなど、ファミコンのプレイ層にあわせた配慮をしていました。
PCゲームの楽しさを詰め込みつつ小学生向けの配慮をいきとどかせた初代「ドラゴンクエスト」は、徐々に人気を獲得し、最終的には約150万本の売り上げとなるヒット作になりました。
パソコンの世界で数十万人の規模で楽しまれていたRPGを、数百万人の規模のファミコンユーザへと広げる重要なゲームのひとつとなったのです。
その後、ドラゴンクエストIIIでは、その人気から発売日に各地で長い行列ができたり、カツアゲや抱き合わせ販売が問題視されるなど、良くも悪くも大きな社会現象をまきおこしました。連日ニュースなどでも取り上げられ、ドラゴンクエストの名前は普段ゲームをしないような一般の人たちにも知られるようになりました。
社会現象となったドラクエ3以降、間隔をあけながらではありますがシリーズが継続的に発売され、そのたびにコンシューマゲームのプレイヤーの間で話題となりました。そして、当時、ドラクエシリーズで遊んでいた子どもたちも、35年の時を経て今や大人になり、ドラクエは国民的なゲームのひとつと言われるようになりました。
上で述べてきたように、初代ドラゴンクエストは、当時の国内外のパソコンRPGの面白いアイデアや遊びやすい要素などを躊躇することなく貪欲に取り入れ、プレイヤーの規模がパソコンよりもおよそ「ひとけた」多かったファミコンのゲームとして実装し、さらにファミコンの主なプレイ層である小学生向けに様々なアレンジをすることで、ファミコンの世界にRPGブームをおこしました。
初代ドラクエは、パソコンゲームの世界で大人気だったRPGの文化をファミコンへと伝える大きな役割を果たしたゲームのひとつだったのです。
上記の文章で「※」の記号を付与した部分の概要を下記に示しました。以前書いた文章へのリンクも「▼詳細」の部分に付与したので、詳細を知りたい方は、ぜひ参照してみてください。
なお、各ゲームの発売時期はPC88ゲームライブラリ等のサイトを参考にしています。詳細や注意点については「国産パソコンゲームの発売時期リスト(1980年代編)」をご確認ください。
上の文章で示したように、初代ドラクエには当時のPCゲームの要素が数多く取り入れられているのですが、開発者がそれらをどこまで意図的に参考にして取り入れたのかどうかについては不明です。
開発者はPCゲームの分野の人たちが中心なので、個人的には、上であげた要素のほとんどについて、おそらく知っていたのだろうとは思っています。ですが、もちろん、同時期にたまたま似た要素を思いついた可能性や、無意識に影響されて取り入れた形になっただけの可能性などもあります。
また、上であげたそれぞれの要素の中でとりあげている具体的なゲームの名前は、ひとつの事例だと考えていただければと思います。どのゲームが最初だったかなどの調査はしていませんし、上記であげたゲームが最初だったと言っているわけでもありません。
この文章の趣旨は、あくまでも「初代ドラクエは、上記のような国内外のPCゲーム文化がある中で開発されていて、これらの要素をファミコンのプレイ層へと伝えるきっかけのひとつになった」ということにあります。この文章そのものには、それ以外の何らかの批判的な意図などがあるわけではないので、そこは誤解をしないでいただけると助かります。
この文章をきっかけにして、初代ドラクエだけでなく、その開発者たちの目の前に存在していた当時の日本国内のパソコンゲームの歴史と文化についても、興味を持っていただけると嬉しく思います。 よろしくお願いいたします。