少し前に「ドラクエ以前の国内パソコンゲーム」という文章を書いたのですが、その中で、「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」についてとりあげました。ここでは、「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」に共通するシナリオや演出をいくつかピックアップして、「夢幻の心臓II」の要素が「ドラゴンクエスト」ではどう違っているのかをまとめてみました。
なお、このページはかなり長文です。全体の概要は下記のリンク先で閲覧できます。
シナリオ以外の要素に関しては下記のページに記載してあります。
今まで調べた内容を短くまとめて、初代ドラクエを紹介する文章を書きました。ぜひ読んでみてください。
前作である初代「夢幻の心臓」については詳細を下記で紹介しています。
続きの話(ドラクエ3以降とクリムゾンシリーズやドラゴンスレイヤー英雄伝説との関係など)は下記に記載しています。
目次
これらの文章は、自分の記憶を中心に、他の方のプレイ日記やプレイ動画なども参照しながら書かせてもらいました。できるだけ間違いをふくまないように意識していますが、自分はゲーム史の研究者でもプロのライターでもないうえに、ファミコンゲームや海外ゲームについてはあまりくわしくないので、間違いがあるかもしれません。内容を確認されたい方は実際にプレイなどをしていただければと思います。
なお、前の文章でも書きましたが、自分はマネしマネされながら発展していくのがゲームの進歩のひとつの形だと思っているので、パクったかどうかは問題にはしていません。2つのゲームに似た要素があったとしても、意識的に参考にしたのか、無意識に影響されたのか、同じものを参考にした結果なのか、独自に考えたのがたまたま似てしまったのか、実は同じ人が両方の開発に関わっていたのか、確認のしようはないですし、可能性はいろいろあるだろうと思っています。
ただし、前例があったのになかったことにしたり、前例を価値の低いものとみなしたりするのはよくないと思っていて、もちろん、その逆に、前例があるからといって後発の工夫をなかったものにするのも良くないと思っていて、それが今回この文章を書いた動機になっています。
※注意:この文章では下記のゲームについてふれていますが、エンディングなどもふくめてかなりネタバレをしています。必要最低限の引用におさえているつもりですが、ストーリーをできるだけ正確に比較するには必要なため、かなりくわしく記載しています。ご注意ください。
夢幻の心臓II、ドラゴンクエスト、アークスロード、QUESTRON(クエストロン)、ウルティマI~IV、タイムトンネル、ザ・スクリーマー、地球戦士ライーザ、ドラゴンクエストII、夢幻の心臓、覇邪の封印、ハイドライド、ブラスティー、ファンタジー3、英雄伝説II
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」には、どちらも最初におとずれる城の王の娘が登場します。前者はサルア王の娘の「シルヴィア」、後者はラルス16世の娘の「ローラ」です。シナリオとの関わりや性格づけはどう違うのでしょうか?
「夢幻の心臓II」に登場する王女シルヴィアは、魔神を倒すために必要な言霊使いの能力を持つ唯一の人物です。アーケディア城へ行ったまま帰って来ないという状況でゲームが始まります。
プレイヤーは最初におとずれる王の城で、王女がアーケディア城へ行ったまま帰らないという話を聞きます。ゲームの序盤に新しい城を見つけて中へ入ると、そこは破壊されていて、地下にお付きの者たちの生き残りと鍵のかかった扉、そして、その中に女性が幽閉されているのが見つかります(その様子から訪問中に城がモンスターに襲われたことがわかります)。
その破壊された城にいる強敵を倒してアイテムを入手して女性を救出すると、王女である彼女は「わたしをサルア城につれて帰りなさい」と主人公たちに命令し、話を聞くと自分はシルヴィアだと名乗ります。ここで彼女を仲間にしないと「あなたは本当に選ばれた勇者なのですか?」と批判されます。
彼女を仲間にして城へつれて帰ると王様は「十分に礼はするぞ!」と感謝の意を示し、シルヴィアは言霊の呪文を覚えるための修行を開始します。その後、主人公たちの仲間としてパーティに加わり、一緒に魔神の世界へ行き、言霊の呪文を使って精霊たちを開放することで主人公を助けます(つまり、メインのストーリーに深く関わる重要な仲間になります)。
「ドラゴンクエスト」に登場するローラ姫は、魔物たちにさらわれていて、半年経過した状況でゲームが始まります。
プレイヤーは最初の王がいる部屋で、姫がさらわれたという話を聞き、助け出して欲しいと依頼されます。ゲームの中盤に強敵のいる洞窟を進むと扉の中に女性が幽閉されているのが見つかります。
扉を開けて女性と話すと自分はローラ姫だと名乗り、「連れていってくれますね?」とたのんで主人公が「はい」と答えるまでだだをこね続けます。そして、「はい」と答えて主人公が「お姫様だっこ」をするとほれている様子を見せます。
城へつれて帰ると王様は「心から礼をいうぞ!」と感謝の意を示し、ローラ姫は「王女の愛」というアイテムを主人公にわたします。その後、城で待ちつづけ、世界を救ってこの地を去ろうとする主人公に、再度、連れていって欲しいとたのみます。
2つを比較すると大きな違いが2つあることがわかります。ひとつは性格づけで、「夢幻の心臓II」のシルヴィアが使命を持って一緒に戦う強い女性として描かれているのに対し、「ドラゴンクエスト」のローラの方は弱く(わがままで)主人公をしたうような守ってやるべき女性として描かれています。前者が当時流行していたファンタジー小説「グインサーガ」に出てきそうな「強い女性像」であるのに対し、後者はいかにも男の子が好きそうな「かわいらしい女性像」になっています。
もうひとつは状況のわかりやすさで、「夢幻の心臓II」では王女が城を訪問中に襲われて幽閉されたということをマップの状況などで暗に示しているのに対し、「ドラゴンクエスト」では姫がさらわれているので助けて欲しいと最初に必ず読むと思われるメッセージで直接的に明示しています。
「夢幻の心臓II」が中高生以上やゲーム経験者向けになっているのに対し、「ドラゴンクエスト」が小学生やゲーム初心者向けになっているのがよくわかると思います。
ちなみに、ウルティマI~IVには「最初の城の王の娘」に位置づけられる人物は登場しませんが、初代「ウルティマ」には城に幽閉されたプリンセスを救うというイベントが存在していました。ただし、敵から救出して味方の城へと連れて帰るのではなく、味方の城の牢屋から脱出させるものになっていました。
初代ウルティマには王の城が8つあるのですが、その全ての王城の牢屋にプリンセスが幽閉されていて、そのどれかひとつ(どれでもかまわない)の城に入り、城の道化師を殺して鍵をうばい、衛兵たちを虐殺し、牢屋を開けて一緒に外へ出るとタイムマシンの場所を教えてくれるというイベントがありました。 ウルティマを参考にしてイベントを作ったら、違う意味ですごいゲームになっていたかもしれません。
※海外RPGの「QUESTRON(クエストロン)」(1984)も動画で確認してみましたが、プリンセスは登場するものの、能力値アップの役割があるだけで、さらわれた姫を救うというイベントは無いようでした。そのかわり、味方になる王様のいる王城(この世界で唯一の王城)で、衛兵たちを虐殺して宝箱の中の鍵を次々に手に入れ、王座の間へと入り込み、その奥にある宝をうばうことで、その王様に実力を認めさせるというイベントがあったようです。さすがウルティマを参考にしたと公言しているゲームだけのことはありますね。
なお、夢幻の心臓IIについては「王女を救出するストーリーの流れ」にも詳細を記載してあります。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」は、どちらもラスボスのいる居城を事前に見せる演出をしています。タイミングなどはどう違うのでしょうか?
「夢幻の心臓II」では中盤にプレイヤーがラスボスの居城を自発的に見るような誘導をしています。
シルヴィアを救出した後でプレイヤーが彼女に会いに行くと、そのすぐそばに、王が秘密裏に作成した地下通路につながる次元の入口が見つかります。そこを探索すると、敵の本拠地である魔神の世界へたどりつきます(最初の城の中に魔神の世界へのゲートがあるという驚きの展開が採用されていました)。
魔神の世界の中央には溶岩にかこまれた城(山にはかこまれていない)があり、非常に目立つ形で見えるようになっています。多くのプレイヤーはそこで敵の居城を見ることになるのですが、この時点ではまだ魔神の世界で戦うにはレベル不足なため、逃げ帰ってくることになります(けっこう命からがら逃げてくるみたいな感じになります)。
「ドラゴンクエスト」では、ゲームの最初の時点で全てのプレイヤーにラスボスの居城を見せています。
海岸にゲームのスタート地点となる城があり、そこから見える距離で、かつ、海にはばまれた対岸の荒地に敵の居城を配置しています。そのため、冒険を開始し、城を出ると、誰でもすぐに敵の居城に気づく仕組みになっています。
「夢幻の心臓II」のマップを使った誘導はとても秀逸なデザインですが、誘導にのらなかった場合(例えばシルヴィアの部屋の入口に終盤まで入らなかった場合や、入って魔神の世界へたどりついてもあまり地上を歩き回らずに逃げ帰ってきた場合など)にはこの演出に気づかない可能性があります。一方、「ドラゴンクエスト」の方は最初に誰でも必ずこの演出に気づくようになっています。
※なお、自分が知っている中で「夢幻の心臓II」より古くてこの種の演出があるゲームとしては、ARPGになってしまいますが、初代「ハイドライド」が思い当たります。中盤までゲームを進めると、川にかこまれていてすぐには行けない島に、ドラゴンに守られたラスボスの城が見えるという演出になっていました。
ちなみに、ウルティマシリーズでは「ウルティマIII」に、タイミングの調整はされていませんが事前にラスボスの城を見る機会がありました(ムーンゲートの転送先のひとつに、船を持ち込まないと渡れない対岸にラスボスの城が見える場所がある)。なお、初代ウルティマは最後にラスボスの世界へ行く形、ウルティマIIは敵を回避することさえできればゲームの進行状況にかかわらずラスボスの居城に入れる形になっていて、ウルティマIVにはラスボスそのものが存在しませんでした。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」では、人々との会話がストーリーを描くうえで、重要な要素のひとつになっています。
「夢幻の心臓II」の人々との会話にはいろいろなタイプがあります。
例えば、ゲームの攻略やヒントにかかわる会話(「ガーゴイルに気をつけろ」「…僧侶になるためにはルーンのしるしが必要だ」など)や、ストーリーにかかわる会話(「魔神は次元の侵略者だ」「エルフの世界は今トロールたちの侵略にあっている はやく我々の世界に来てください」「鎧を着た魔神の姿はにせものだ」など)、世界観や町の雰囲気にかかわる会話(「ドワーフは一流の戦士さ」「この町の住民は手クセが悪いから気をつけろ」など)、ネタ的な会話(「ゲームちょうだい」「MAHALITO」(MAHALITOはウィザードリーの呪文なので、ジョーク的な会話だと思われる)など)、特に意味がない会話(「こんにちは」「おーい!酒おごってくれ」など)などです。
少し残念なのは、重要でないセリフに短い文章のものが多く、全く同じセリフをしゃべる人が複数いる町もあることで、例えば最初に行くことになる町には、「こんにちは」としゃべるだけの市民がたくさん配置されている町もあります。
「ドラゴンクエスト」の人々との会話も、「夢幻の心臓II」と同様に様々なタイプの会話があります。ただし、重要でないセリフにも長めの文章のものがあり、内容も多様で同じセリフをしゃべる人もあまりいない点は「夢幻の心臓II」よりも優れていると言えるだろうと思います。
それから、ドラクエの方がヒントの出し方がていねいだというのは確かにあると思います。例えば「夢幻の心臓II」では、魔神の世界へ行くのに必要な黒の石が「赤き塔」にあるという情報は会話で得られますが、その「赤き塔」がどこにあるかを直接的に教えてくれる会話は確かなかったと思います(アーケディア城の南西に宝のつまった塔があるなど、間接的な情報はありましたが)。
ドラクエでは方角を示して場所のヒントを直接的に与えることがほとんどですが、夢幻の心臓IIは場所に関するヒントをあまり出さない傾向があります。ドラクエがユーザ層である小学生を意識して夢幻の心臓IIよりもさらにていねいにヒントをだしていたと言えるでしょう。ただし、夢幻の心臓IIが場所のヒントをあまり出さなかったことについては、地上を探索しやすいシステムを採用していた点も影響していると思います。
夢幻の心臓IIでは、各キャラのレベルが上がり装備も充実してくると、一部の強敵をのぞき「人間の世界」の地上ではダメージをほぼ受けなくなります(レベルの低いキャラを仲間にすれば別ですが)。その強敵もシンボルエンカウントなので見かけたら逃げることができますし、仮にダメージを受けても食料を買っていれば移動中に少しずつHPやMPは回復していきます。
ものかげの視界が制限されるシステムは少しやっかいですが、それを除去したり周囲のマップを表示したりする便利な道具や魔法もありました(視界制限を除去する魔法の効果の継続時間は消費MPを回復できるくらいの長さになるので、食料をちゃんと購入して他の魔法を使わなければ視界を晴らし続けておくことも可能でした)。ななめにも移動できたので、上下左右にしか移動できないドラクエよりも移動距離を短縮できました。
目的地を探すために地上を歩き回ることがドラクエよりもしやすかったため、ドラクエのように会話で方角を示さなくても十分だった可能性はあるだろうと思います。実際、ドラクエと同様のランダムエンカウントで地上の移動も大変だった初代「夢幻の心臓」のほうでは、方角で場所を伝えるヒント(例えば「北西にライオンの洞窟がある」など)をいろいろ出していました。
下記のページに会話でストーリーを語ることについて書かれた記事に対する文章を書きました。
また、下記のページでは、夢幻の心臓IIでの「勇者」という単語の使用例を示しているので、興味がある方は読んでみてください。
初代「夢幻の心臓」のヒントの出し方は下記で解説しています。
RPGにはマップの状況で崩壊した地域を表現することがよくあります。 いわゆる環境ストーリーテリングの手法で物語を感じさせる手法のひとつです。 「夢幻の心臓II」の「アーケディア城」、「ドラクエ」の「ドムドーラの町」、それから「ウルティマIV」(1985)の「マジンシア」などがこれにあたります。
「夢幻の心臓II」の「アーケディア城」は、シルヴィア姫が訪問をしていた場所ですが、見つけた城は崩壊していて、地下に姫が捕らえられており、王座の間だったと思われる場所に宝箱を守るサイクロプスが待ち構えていました。
「ドラゴンクエスト」の「ドムドーラの町」は砂漠にある町ですが、見つけた町は崩壊していて、廃墟と化した武器屋の前で伝説の鎧を守る悪魔の騎士が待ち構えていました。
「ウルティマIV」の「マジンシア」は、8つの徳のひとつをつかさどる島ですが、町の人々が「誇り」や「自尊心」を徳のひとつとして信奉し、謙虚さを忘れてしまったために滅んでしまい、成仏できない霊魂が様々な姿でさまよっていました。
これらはゲームの開始時点ですでに土地が崩壊している事例ですが、ゲームの途中で崩壊するイベントが発生するゲームもこの系譜の変形とみなせるかもしれません。
「QUESTRON(クエストロン)」(1984)では、今まで訪れたことがある町が襲われたという話を魔法使いから聞かされ、その町へ行ってみると建物や人々などが全て消え去った更地になっているという演出がありました。ドラクエの後の作品になりますが、「ファンタジーIII ニカデモスの怒り」(SSI,1987)(スタークラフト,1988.6移植)では、ゲームの前半で主人公たちが参加した葬式に突然ラスボスであるニカデモスが現れ、目の前で参列者の王子や各種族の指導者や代表者たちが惨殺されて荘園が崩壊します。「英雄伝説II」(1992.3)ではゲームの途中でレジスタンス狩りが発生して町が壊滅するというイベントがありました。
地域を崩壊させる演出は、悪役を際立たせる代表的な手法のひとつと言えるでしょう。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」には、簡単には入れない都市があります。前者は「エルフの村」、後者は「メルキド」。この2つの違いについても書いていこうと思うのですが、ここは記憶がかなりあやふやだったので、ネット上の情報にかなりたよって書いています。もし間違いがあったら申し訳ありません。
「夢幻の心臓II」の「エルフの村」は魔法の武器を売っていたり、魔神に関する重要な情報が得られたりする村ですが、エルフはドワーフと仲が悪く人間も好きではないため、入口を守っている衛兵に追い返されてしまい、中へ入ることができません。しかし、別の場所にあるエルフ城へ行って王に会うと「魔神を倒すという同じ目的を持つ者」ということで、村への出入りを許可されます。
共通の敵に対して異種族が協力しあう様子をプレイヤーに印象づけるストーリー上重要な演出になっています。その一方で、王との会話だけで入れるようになるため、ゲームとしては少し盛り上がりに欠ける印象があります。エルフの世界にはトロールが侵攻してきているため、例えばトロールの王を倒したら許可が得られるようにすれば、ゲームとしてもっと盛り上がったかもしれません。
※ちなみに、人間の世界でかなり強いドワーフを賃金なしに仲間にでき、エルフ城よりもエルフの村の方が見つかりやすい場所にあるため、たいていのユーザは上記の演出を見ることになります(細かな動作を確認したところ、仲間にドワーフがいなかった場合とエルフ城で先に許可を取った場合には、追い返されるイベントは発生せずに村へ入れる仕組みになっていました)。
「ドラゴンクエスト」の「メルキド」は、強力な武器を売っていたり、竜王の正体に関する情報が得られたりする都市ですが、入口をゴーレムが守っているため、中へと入ることができません。ゴーレムはとても強いのですが、アイテムを使って倒すことができ、中に入れるようになります。
このアイテムを使った戦闘はゲームとして盛り上がります。しかし、ネットで調べたところではこのゴーレムは「都市を侵入者から守っている」というのが通説のようですが、そのことそのものや都市を守っている理由などについてはゲーム中では触れられていないようです。この障害のストーリーとしての位置づけは少しわかりにくい印象があります。メルキドに住む人たちが例えばゴーレムを作った理由などについてもっとくわしく話してくれるようになれば、ストーリー上の位置づけがもっと明確になったかもしれません。
この部分については、「夢幻の心臓II」の方がストーリーの位置づけを、「ドラゴンクエスト」の方がゲームとしての盛り上がりを、それぞれ重視していたと言えるのかもしれません。
なお、中ボス的な感じで固定位置にいてゆく手をはばむモンスターという点では、「夢幻の心臓II」にも例えば赤き塔の2階へ上がるためのハシゴを守る「デュラハン」などが存在していました。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」はどちらも最後の敵のいる城に入るのに3つのアイテムが必要でした。海外RPGの「ウルティマIV」で最後のダンジョンに入るときにも3つのアイテムが必要でした。それぞれはどう違ったのでしょうか?
「夢幻の心臓II」には4つの石が登場するのですが、最後の城に入るにはそのうちの3つが必要でした。これらは、人間の世界、エルフの世界、魔神の世界にぞれぞれ別々の形で隠されていて探しだす必要がありました。魔神の世界の3つの塔に閉じ込められた精霊たちのもとを適切な順番でおとずれ、シルビアの言霊使いの能力でこれらの石を使い彼らを解放することで、最後の城の真の姿があらわれて中に入れるようになりました。
「ドラゴンクエスト」には3つの特殊な道具が登場するのですが、最後の城に入るにはその3つが必要でした。これらは城、町、野外、にそれぞれ別々の形で隠されていて探し出す必要がありました。ほこらに住む賢者のもとをおとずれ、これら3つを渡して別のアイテムを入手してある場所で使うことで、最後の城のある島に橋がかかり城へ入れるようになりました。
「ウルティマIV」では3つの原理に対応する道具が登場するのですが、最後のダンジョンに入るにはその3つが必要でした。これらは世界各地に隠されていて探し出す必要がありました。最後のダンジョンのある島をおとずれ、その島の山頂で適切な順番で道具を使うことで入口が開き、中へ入れるようになりました。
ちなみに初代「ハイドライド」も、ラスボスの城のある島へ渡るのに3匹の妖精を助ける必要がありましたね。
3つのアイテムを集めて先へ進むという定番の要素でも、その演出には様々なバリエーションがあったことがわかります。
RPGには、昔からヒントをもとに隠されたものを探しだす様々な謎解きが存在していました。
例えば「ウルティマIII」(1983)では、伝説の武具が孤島に隠されているという情報を ヒントに、小さな島を見つけては上陸して調査を繰り返し、それを見つけ出すという謎解きがありました。「クエストロン」(1984)には、魔術師からのかなり直接的なヒントをたよりに、霧につつまれた街を探し出す謎解きがあります。
初代「夢幻の心臓」(1984)のメインのシナリオは紋章を集めることでしたが、紋章がある迷宮の名称や具体的な位置、入手方法が特殊な場合のヒントなどが、広場での情報収集やエンカウント時の会話で得られるようになっていました。
探索の要素がとても充実していたRPGが「ウルティマIV」(1985)でした。 このゲームには徳に対応する8つのルーンやマントラ、原理をつかさどる3つの道具、最強の武器と防具、魔法に使う貴重な薬草、祈りをささげる寺院や隠された街など、探し出すべきものが多数存在していました。
その探し方も、「六分儀」を手に入れて緯度と経度の情報から街の位置などを探し出したり、目印となる場所やそこからの位置関係の情報をヒントにして特定の場所を調べたり、隠し部屋に隠されているというヒントから通り抜けられる壁を探したり、特定の時刻に特定の場所を調べないと見つけることができないものなど、とてもバラエティに富むものでした。しかも全ての謎は、必ずそのヒントが会話などで得られるようになっていました。
「夢幻の心臓II」にも、例えば場所が決まっていなくて常に移動をし続けている建物「さまよえる塔」を、その方向を指し示す「シーのコンパス」を使って探しだす謎解きがありました。一方、「ドラクエ」にも例えば地表に隠された「ロトの印」というアイテムを、それが隠されている座標の情報と、主人公のいる座標がわかる「王女の愛」を使って探しだす謎解きがありました。
ドラクエの少し後ですがほぼ同時期に発売された「覇邪の封印」(1986.7)の地下神殿の入口を見つけ出す謎解きもとても秀逸でした。位置関係の情報がヒントなのですが、そのヒントどおりに行動すると黒の導師の罠にひっかかって大損害をこうむることになります。その後、探索を続けていると新たな情報が得られて、それを総合することで本来の目的の場所が見つかるという演出になっていました。
ちなみに、損害をなかったことにしようとして、セーブしたデータをロードして再開すると、主人公たちが罠にかかる前の状態に戻ってしまうために、その新たな情報を得ることができずにクリアできなくなります(情報を得てからロードしたり、ゲーム中で情報を得なくても、クリアした友達などからその情報を聞けばクリアはできますが)。セーブ・ロードの機能で楽をしようとすると失敗する仕組みが導入されていたわけですね。これは見方を変えれば『強制「負け」イベント』と言えるかもしれません。
探索の要素は、RPGの初期から続く醍醐味のひとつといえるでしょう。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」のラスボスの城では、どちらもラスボスの姿が見当たらないという演出がなされています。この2つの演出はどう違っていたのでしょうか?
「夢幻の心臓II」のラスボスの城は溶岩などに囲まれていて簡単には入れないのですが、空を飛ぶ魔法を使うと障害をこえて潜入することができました。しかし、城の中は壁などが全くない広い空間になっていて、そこには大量の敵が待ちかまえているだけでラスボスは見当たりませんでした。
実はこの城は幻影で、精霊を助けてその力で幻影をうちやぶることで、本当のラスボスの居城へと姿を変えるという演出になっていました。
「ドラゴンクエスト」のラスボスの城は見かけ上は普通の城でしたが、どこを探してもラスボスは見当たりませんでした。
実はこの城はダミーで、隠し階段を見つけて地下へおりていくことで、本当のラスボスの居城へとたどりつくという演出になっていました。
「夢幻の心臓II」のラスボスは次元をあやつる者ですし、「ドラゴンクエスト」のラスボスは竜です。どちらもラスボスの設定をうまく生かしたやりかたで簡単には会えないように一工夫をしているように思えます。
このあたりのストーリー上の演出の流れは、「ハイドライド」の一部の機種(1985.4に移植のFM-7版など)でも採用されています。ハイドライドでは敵の城が見えていても到達できない状態になっていて、3人の妖精を見つけるとその城がある島へ行くことができ、城の中に入っても最初にはラスボスは見当たらず(一部の機種のみ)、謎を解くことでラスボスと戦えるようになり(一部の機種のみ)、倒すと姫が救出できる、というストーリーの構造が採用されていました。
この構造を骨格にして、序盤での姫の救出、トロールの侵攻や異種族間の協力などの背景の描写、幽霊船や10人のダークナイトなどの謎、魔法の封じられた洞窟やさまよえる塔のようなギミック、シルヴィアやウルルのようなキャラクタ性のある仲間、2段階に変化するラスボス、などの要素を加えてアレンジした形になっているのが「夢幻の心臓II」、そこから一部をピックアップして再構成した形になっているのが「ドラクエ」、と言えるかもしれません。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」は、どちらも最後の敵(ラスボス)を倒すと正体をあらわす2段階の戦闘が採用されています。1985年6月に発売された「アークスロード」(ウィンキーソフト)でもラスボスで同様に2段階の戦闘が採用されていました。この3つは何が違ったのでしょうか?
※なお、「アークスロード」についてはプレイした経験がないため、ネット上のプレイ動画を見て説明を書いています。
「アークスロード」のラスボスは、杖を持った魔術師のような姿の「ZOLDES」として登場します。ラスボスがいる場所に到着すると、戦闘が始まります。これを倒すと特にメッセージは表示されずに、超巨大な2つ首の竜「GOLD DRAGON」との戦闘となります(ZOLDESの絵の4倍くらいの大きさで表示されます)。これを倒すとゲームのクリア画面が表示されます。
「夢幻の心臓II」のラスボスは騎士のような姿をした「ダークネス」として登場します。ラスボスと接触すると戦闘がはじまります。これを倒すと「よくも私の体を破壊してくれたな」などのセリフと、「魔神が正体をあらわした」というメッセージとともに、目玉の化け物「ビッグアイ」との戦闘になります。
これを倒すと「ビッグアイを倒した」「戦いに勝った!!」というメッセージが表示されます。さらに、魔神の断末魔のセリフ(「よくもやってくれたな!」など)と、その声が徐々に小さくなっていき最後には姿が灰になってくずれ落ちるという、敵の最後の状況がメッセージで丁寧に表示されます。なお、魔神の本来の姿が人の姿ではないことや、正体がとても醜いことなどの情報は町の人との会話の中で得られます。
「ドラゴンクエスト」のラスボスは、杖を持った魔術師のような姿の「りゅうおう」として登場します。ラスボスと会話をすると、世界の半分をやろうと誘惑してくるため、これに「いいえ」と答えることで戦闘がはじまります。
これを倒すとBGMが変化し「竜王が正体をあらわした!!」というメッセージとともに、巨大な竜との戦闘になります。これを倒すと「竜王を倒した!」というメッセージが表示されます。なお、竜王が人間ではないこと(爪が鉄を引き裂き、吐く炎が岩を溶かす)の情報は町の人との会話の中で得られます。
「アークスロード」がいきなり2戦目に入る(別の所から別の敵が出てきたと考えることもできてしまう)のに対し、「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」は2戦目に入る前にメッセージを表示することで、敵が正体をあらわすという状況を説明しています。それに加えて「ドラゴンクエスト」では戦闘開始前に敵と対話するイベントが追加されています。「夢幻の心臓II」には戦闘前のイベントはありませんが、1戦目と2戦目の敵を倒したときに、敵のセリフとともにその状況をメッセージでとても詳しく描いています。「ドラゴンクエスト」の2戦目に入る部分は「夢幻の心臓II」とくらべると説明不足ですが、1戦目と2戦目の敵の名前を同じにすることで、その説明不足をおぎなっています。
「杖を持った魔術師風の男を倒すとドラゴンとの戦闘になるラスボス」という構成が「アークスロード」と「ドラゴンクエスト」の両方で採用されているのには少し驚きました。 もちろんドラクエは鳥山明さんの絵になっているので印象はだいぶ違うのですが、構成は一致しています。意識的にマネをしたのか、たまたま似てしまったのか、夢幻の心臓2と違う形にしようとしたらこうなってしまったのか、海外のRPGとかに別の元ネタがあって両者がそれをマネしたのか、理由はわかりませんが、いずれにせよ、これはなかなか興味深い事実でした。
※ちなみに、ラスボスが途中で変化するRPGで自分が知っている一番古いものは初代「ウルティマ」なのですが、PC88版を実際にプレイした印象としては「最初は無敵だったラスボスが戦闘中に秘密をあばかれ、ダメージを受けて瀕死の状態にまで追いつめられ、最後にはコウモリに変化して逃げ回る」という感じの構成で、上であげたゲームの流れとは逆の印象(弱くなる方向での3段階の変化)になっていました。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」は、どちらもラスボスを倒した後にすぐにエンディング画面にはならず、プレイヤーを操作するフェーズが入っています。エンディングまでの流れはどう違うのでしょうか?
「夢幻の心臓II」の目的は、自分がいた元の世界へ帰ることです。次元の侵略者である魔神を倒すと、その後の状況を説明するメッセージが表示されます。内容としては、魔神に力をうばわれていた精霊や神々たちが主人公のまわりに集まってきて、魔神が作った時空の祭壇のところへ行けば元の世界へ帰れると教えてくれます。
プレイヤーがキャラクターを動かして魔神の城の中にある祭壇のところまで行くと、祭壇に向かって歩けば願いがかなえられるという精霊のメッセージが表示されます。そして、画面いっぱいに祭壇とそこへ向かって歩く勇者の絵が表示され、その勇者が消える演出があり、城が見える丘の絵に切り替わり、勇者が表れる演出がなされます。 その画像の下のメッセージ欄で元の世界へ帰れたことなどが説明され、「故郷への第一歩を踏み出した」というメッセージが表示されます。
最後に、ゲームのタイトルとENDの文字が表示され、終了認定証をもらうための情報が表示されてエンディングの音楽が流れます。
「ドラゴンクエスト」の目的は、竜王を倒して世界を救うことです。光の玉をうばった竜王を倒すと、その後の状況を説明するメッセージが表示されます。内容としては、竜王から光の玉を取り戻してかざすと、光があふれ出して国に平和がもどります。その後、自動的に敵の城から外へ出た状態になります。
プレイヤーがキャラクターを動かして城にいる王のところへ戻ると、王から伝説の勇者であることをたたえられ、この国を治めるよう依頼されます。主人公が、その申し出をことわって立ち去ろうとすると、ローラ姫が共に行きたいと言い、「はい」と答えると、「あらたな旅が始まる」というメッセージが表示されます。そして、城の兵士がラッパをかまえ、ファンファーレに続けて曲を演奏します。
曲が始まるとエンディングのメッセージとスタッフロール(エンドクレジット)が英語で次々に表示され、曲が終わるタイミングでTHE ENDの文字が表示されます。
他のRPGのエンディングはどうだったのでしょうか?「ウルティマIII」はラスボスを倒すといきなりエンディングのメッセージが表示されました。「アークスロード」はそれに加えて1枚の絵が追加されていました。1985年に発売され、ラストのストーリーが良いという定評があるRPG「ザ・スクリーマー」(マジカル・ズゥ)や「地球戦士ライーザ」(エニックス)では、絵と文章を次々に表示することで、紙芝居のようにエンディングのストーリーを描いていました。これはビジュアルシーンのような感じでラストを描く手法です。(ザ・スクリーマーは当時プレイしてなくてエンディングの内容は後でWebで知ったのですが「そして あらたなる でんせつが うまれた。」というメッセージで終わるラストは本当に衝撃的です)。
1984年に発売された海外RPGの「QUESTRON(クエストロン)」はドラゴンクエストがエンディングの参考にしたといわれているゲームです。そこで、プレイ動画を見てラストの内容を確認してみました。
「クエストロン」のエンディングでは、まず、プレイヤーが城の王座の間へ行くと「Victory Ceremony(勝利の宴)」が開催されます。そこでは、たくさんの兵士が集まる中、王様とお姫様が現れます。そして、城の兵士がラッパをかまえ、ファンファーレに続けて曲を演奏します。次に、王様の話にしたがってプレイヤーが魔法使いのところへ行くと、主人公がこの地の悪を倒したことをたたえられ、しかし邪悪なアイテムを破壊しなければならないことを告げ、転送装置が次に向かうべき場所へと運んでくれると教えてくれます。最後にプレイヤーが転送装置へと移動すると、時空を旅し、QUESTRON IIへ続くというメッセージととともにTHE ENDの文字が表示されてエンディングの音楽が流れます。そして、曲が終わると開発スタッフが表示されます。
※ネット上の記事やプレイ動画などを見る限りですが、「QUESTRON」は日本での知名度はそれほど高くないものの、当時のゲームのいいとこ取りをしつつストーリーや演出を重視し、カーソル移動式のコマンド選択システムを採用したり、ゲーム内ミニゲーム(街のカジノでのルーレットやカードゲーム)を導入したりするなど、かなり斬新なゲームだったようです(ミニゲームは国産RPGだと「パラディン」(1985)などで採用されていましたね)。これは初代「夢幻の心臓」と同時期の1984年前半に発売されています。
つまり、「夢幻の心臓II」は、この「QUESTRON」のエンディングの後半をベースにして、最後に国産RPG風のビジュアルシーンを追加した形になっています。一方、「ドラゴンクエスト」は「QUESTRON」のエンディングの前半をベースにして、ファンファーレの直後に映画風のスタッフロールを表示した形になっています。どちらも「QUESTRON」のエンディングを効果的に演出しようとアレンジしたものと言えるだろうと思います。
※ただ、ドラクエの方はクエストロンの一番特徴的で印象的な部分をかなりそのまま取り入れている(プレイヤーのそばに王様とお姫様がいる状況で、左右の兵士がラッパをかまえるアニメーションをし、その後でファンファーレが流れる)ので、兵士の配置のしかたやスタッフロールへ移行する点が異なっているにしても、演出の根本が似すぎていて参考にしたと説明するのはちょっと苦しいかなという印象です。自分はパクリという表現には慎重ですが、さすがにこの演出についてはパクリ(そうでなければオマージュ)と言われてしまっても、しかたがない面はあるんじゃないかなと思います。
ちなみに国産PCゲームでのスタッフロールについては、かなり初期の段階でゲーム製作にチーム制を取り入れていたT&Eソフトの「惑星メフィウス」(FM7版,1983.7)のオープニングですでに採用されていて、同社の「ハイドライドII」(1985.10)のFM-7版でもエンディングでBGMにのせて映画風のスタッフロールを流す演出が採用されていました。ただし、これらのスタッフロールは最後までいくと最初から何度も繰り返す形式になっていました。
ドラクエのような、曲の終わりと同期して表示が終了する演出は、アクションゲームになりますが「アメリカントラック」(日本テレネット,1985.5)のエンディング(ゲームオーバー時)などで採用されていました。
当時のPCゲームのスタッフロールやエンディングの演出については、下記のページにも記載してあります。
「クエストロン」について、エンディング以外でも影響を受けている部分があるのではないかと思い、ラストだけでなくストーリー全体の流れも動画で確認してみました。しかし、ラスボスを倒した後の演出をのぞけば初代ドラクエや夢幻の心臓IIとはかなり違う流れになっていました。
クエストロンでは、城からかなり離れたところからゲームが始まり、魔術師の導きにしたがって(そそのかされて?)王国の城を攻撃してアイテムを盗み出して力の証明をし、国王から騎士の称号をさずかります。なお、お姫様は能力をアップする役割になっているようです。その後、魔術師の指示に従い、その盗み出したアイテムで霧に隠された港を探し出し、そこで帆船を購入して新しい地域へ渡ります。
ラスボスはその地域にある島のダンジョンの最下層にいるのですが、その島へは乗り物としてイーグル(鳥)を購入して向かいます。入口の見かけは城ではなく墓石のような形状で、中に入るためのイベントの流れは直線的(新しい地域に3Dダンジョンが3つあり、1つ目のダンジョンの最深部にある鍵で2つ目のダンジョンに入り、その中にあるアイテムでラストダンジョンの入口の結界を破る)でした。
ダンジョンの最下層の施設に入るとサイレンが鳴り響き、ラスボスからの警告のアナウンスが流れ、それを合図に衛兵たちが主人公に襲いかかります(姿をかくすのではなく最初からアピールしてくる)。ラスボスは火の玉で遠距離攻撃をしてきますが段階変化などはなく、ラスボスを倒した後で別の場所にある機械を破壊するという流れになっています。その後、あるアイテムによって自動的に外へ出て王城の前へ転送された状態になり、そこからラストまでは上に書いたとおりです。
なお、ラスボスは別世界から強力な魔法の本を持ち帰ってきてその力でモンスター軍団をあやつっている悪者、主人公はその悪者を倒そうと決意して自分の牛を売った金で鎧と3ヶ月ぶんの旅の食料を買った農民、という設定のようです。あと、一部の紹介サイトには、この悪者が王妃と姫のひとりを殺して国王に宣戦布告した、とも書いてありました(ゲームの動画では確認できなかったのでこれは間違ってるかもしれませんが)。ラストをのぞけばストーリー上の流れについてはクエストロンからはあまり影響を受けていないと言えそうです。
その一方で、「クエストロン」には、今までよくおとずれていた街が敵に襲われたという報告をうけ、再度その街をおとずれたら、そこにあった建物や人々などが全て消えてなくなっていた、という演出がありました。こういった演出がその後のRPGに影響を与えた可能性は大いにあるだろうと思います。
※ネット上には「クエストロン」のダンジョンが3人称視点の2Dマップだったかのように言う人もいるようですが、動画を確認する限り1人称視点の3Dダンジョンが採用されているようです(ただし、衛兵と戦闘する王城とラスボスのいる最下層の施設は2Dマップ)。
「夢幻の心臓II」と「ドラゴンクエスト」のシナリオ上の演出を比較してみると、どちらか一方が極端に劣っているとか優れているとかいうことではなく、どちらも様々な工夫をしてプレイヤーを楽しませようとしていることがわかると思います。
ドラゴンクエストより前の国産パソコンRPGには「ストーリー性」がなかったなどと、ひどいことを書く人もいるようですが、そうでないRPGが存在していたこともわかってもらえたのではないかなと思います。前者は中高生以上やゲームの経験者向けになっているため、マップなどで暗示をしたり誘導をしたりしてプレイヤーに気づかせている部分が多い印象があります。一方、後者は小学生やRPG初心者向けになっているため、状況を直接メッセージで表示したり必ず演出を見れるようにしたりしています。
似ている部分も多いゲームですが、それぞれにそれぞれの良さがあることを感じてもらえたら嬉しいです。
この文章を、どちらかを批判するために利用するのではなく、どちらも優れたゲームだったということを広めるためにぜひ利用していただければと願っています。
ここから先は「夢幻の心臓II」とは別のゲームとの比較の話になります。「ドラゴンクエスト」では、「世界の半分をやろう」というラスボスのさそいにのると画面が暗転してゲームが終了するという、いわゆるバッドエンディングがあります。
この演出は「夢幻の心臓II」にはないものです。しかし、当時のアドベンチャーゲームにはすでにマルチエンディングが存在していました。最初期のものに1984年12月に発売された「アゲイン」(エニックス)と「タイムトンネル」(ボンドソフト)があります。特に後者は知名度が高く、この時期にパソコンゲームをしていた人でマルチエンディングと聞けば名前を上げる人も多いと思います。ここでは、この「タイムトンネル」について少し紹介をしておきたいと思います。
「タイムトンネル」の世界では、ダナーク星人という宇宙人が侵略を企てています。主人公は宇宙船の爆発事故で惑星ベガサイドにたどり着きます。この星で開発されていた「タイムトンネル」を使って過去の地球を旅し、侵略者であるダナーク星人を撃退することがゲームの目的です。このゲームには4つのエンディングがあるのですが、そのひとつに、敵のさそいにのるルートが存在しています。
プレイヤーはダナーク星へと潜入してメインコンピュータの破壊に成功するのですが、そのとき、惑星ベガサイドの長官であるハインライン長官から通信が入り、彼がダナーク星人と内通している裏切り者であることが明らかになります。秘密を知られたハインラインは核ミサイルを地球に発射し、自分と組まないかとさそってきます。惑星ベガサイドに戻ってハイライン長官のさそいに「Yes」と答えると、副官室で働くように指示されるのですが、実はそこはガス室で主人公は殺されそうになります。
一方、最初のさそいに「No」と答えると、自分は主人公を心から仲間にしたいと思っていて、娘のエリーゼ(このゲームのヒロイン)と結婚させたいとも思っていると言い出します。彼は主人公が見所のある男だと判断し、再度、手を組もうとさそってくるのです。 この2度目のさそいに「Yes」と答えると、マルチエンディングのひとつに到達します。つまり、主人公はエリーゼと結婚し、宇宙の独裁者ハインラインの跡継ぎになりますが、地球は焼きつくされてしまうという結末をむかえるのです。
ドラクエの開発者の堀井雄二さんは、「昔テレビでやっていた「タイムトンネル」が大好き」だったと話をされているようです。同じく開発者のすぎやまこういちさんはドラクエのバッドエンディングについて「あそこで「はい」と答えてしまうようなズルい政治家を生み出してはいけない」と話されているようです。ちょっと強引ですが、「ゲームの「タイムトンネル」には長官のさそいにのって政治家(独裁者の跡継ぎ)になってしまうエンディングが存在している」と考えることもできると思います。もちろん偶然の一致なんだろうとは思いますが、不思議な縁があるんだなぁ…なんてことを、自分はついつい考えてしまいます。
さらに言うと、このゲームで4つ目のエンディングに到達するには、3つ目のエンディングのルートで得た情報を使う必要がありました。これには批判もありましたが、「あるルートでクリアすることが別ルートでのクリアにメタ的に影響する」という要素をマルチエンディングのAVGで使ったかなり初期の作品とも言えるでしょう。
いずれにせよ、なかなか面白いストーリー展開をするゲームだと思ってもらえたのではないかなと思います。もちろん、今から見ると当時のパソコンゲームには遊びにくいところや難易度が高すぎるところが多いのも事実ですが、当時の国産パソコンゲーム文化の豊かさについて、もっと多くの人たちにも知ってもらえたらと思います。特にプロのライターさんたちには、国産パソコンゲームの歴史を、自分が好きだったファミコンゲームを持ち上げるための単なるダシとしてよく調べもせずに利用するのではなく、きちんとゲーム文化を紹介して記録を残す意気込みで記事を書いてもらえたら嬉しく思います(もちろん、そういうライターさんもいっぱいいるとは思いますが)。
※ちなみに、RPGでも初代ドラクエのひとつ前の月に発売された「クルーズチェイサー・ブラスティ」(スクエア,1986.4)で、終盤のストーリーが2つに分岐するマルチエンディングが採用されていました。
「アゲイン」の方も軽く紹介しておこうと思います。このゲームは、天国の聖霊になるために「何度も生き返りながらいろいろな人生を体験する」というコンセプトの、ループ構造を持ったマルチシナリオ形式のアドベンチャーゲームでした。生き返るたびに毎回同じところからスタートしますが、プレイヤーの選択でその人生は分岐していきます。体験した人生は亡くなったときに天国の予定表に書き込まれ、それを7つ全て集めることが最終目的になっていました。
今で言ういわゆる「ループもの」の類型とも考えられますが、これをアドベンチャーゲームで採用するというアイデアはすでにこんな時代からあったんですよね。ちなみに、途中には手術シミュレーションや3人称視点でキャラクタを動かすパズル、後に軽井沢誘拐案内などでも用いられたミニRPGパートなど、システム的にも多彩なシーンがふくまれていました。
なお、上記より前にも「英雄伝説サーガ」(マイクロキャビン,1984.8, ラストが3つに分岐)や、「ザ・デストラップ」(スクエア,1984.10, 途中でルートが2つに分岐)などでシンプルな構造のマルチエンディングが採用されていました。
※世の中にはウィザードリーなどと比較したうえで、ドラクエを「ゲーム中で物語を描いた最初のゲーム」とまで言っている人すらいるようです。しかし、それは歴史の捏造レベルの大嘘だと断言して特に問題ないでしょう。ウィザードリーが発売された1981年ごろならいざしらず、ドラクエの開発が始まった時期のPCゲームでは、上で示したようにゲーム中で様々な物語を描いていました。そのPCゲームで花開いていた文化をファミコンゲームへと持ち込んだゲームのひとつがドラクエだったのだろうと思います。
ドラクエ2にも初代と同じように、それ以前に発売されていたゲームに類似する演出が見られるので、いくつかピックアップして紹介したいと思います。
「ドラゴンクエストII」には中盤に紋章を集めるイベントがありますが、「ウルティマIII」や初代「夢幻の心臓」などにもこれに似たイベントが存在していました。これらはどう違うのでしょうか?
「ウルティマIII」には4つのマーク(「Mark」)を集めるイベントがありました。「Mark of Fire」や「Mark of Kings」などの名前で、それぞれのマークには例えば溶岩の上を歩けるなどの能力があり、クリアするためにはこれらを集めて能力を利用する必要がありました。
初代「夢幻の心臓」には7つの紋章(「モンショウ」)を集めるイベントがあり、最後の間へ入るには全ての紋章がそろっている必要がありました。ウルティマIIIのマークは4つともダンジョンの特定の場所で入手する形でしたが、夢幻の心臓の紋章の入手方法は特定の敵を倒すものや街のイベントで手に入るものなどいくつかのバリエーションがありました。紋章はクリアに必須なだけでなく、能力値をアップするアイテムとしての役割もありました。
「ドラゴンクエストII」では5つの紋章(「もんしょう」)を集めるイベントがあり、敵の神殿に入るアイテムを入手するには全ての紋章がそろっている必要がありました。 開発者が意識的に参考にしたのか無意識だったのかはわかりませんが「夢幻の心臓」と「ドラゴンクエストII」で、同じ「紋章」という日本語の表現が使われています。
初代「夢幻の心臓」はこの紋章集めがメインの(ほぼ全ての)シナリオと言っていいものでしたが、さすがに約3年後に発売の「ドラゴンクエストII」(「夢幻の心臓」が1984年3月発売に対し「ドラゴンクエストII」は1987年1月発売)では全体の中での一部のイベントになっています。
また、ドラクエ2の約半年前に発売された「覇邪の封印」(工画堂)には「ドラゴンクエストII」の仲間との出会いの演出に似たイベントが存在していました。この2つはどう違っていたのでしょうか?
「覇邪の封印」では、古の勇者イアソンの血筋を持つ3人の仲間を集めることになります。2人目の仲間は「メディア」という女性で、彼女は古の血筋の記憶を失っていてジプシーの踊り子のように、町から町へ転々と渡り歩いています。そのため、情報を集めて町へ行ってもすでに旅立った後という状況が何度か続きます。そして最終的にたどりついた町で見つけた女性に呪文をとなえることで彼女は記憶が戻り、仲間になります。
3人目の仲間は「トレモス」という男性で、敵の魔道師との戦いに敗れて呪われ、魔物の姿に変えられています。この魔物を見つけ出して呪文を唱えることで彼は人の姿に戻り、仲間になります。(ただし、仲間にするには上記のイベントとは別に、特定の武具を持っている必要があります。ちなみにドラクエ2とは関係ないですが、「覇邪の封印」には「逃げ足の種」や「聖なる木の実」など植物をベースにした独特な名前のアイテムも登場していました。)
「ドラゴンクエストII」では、勇者の血を引く2人の仲間を集めることになります。1人目の仲間はサマルトリアの王子で、彼は主人公と同じ使命を持っていますが、異なる国の王子なので2人は別々の場所から行動を開始します。そのため、主人公が情報を集めて各所へ行ってもすでに旅立った後という状況が何度か続きます。そして最終的に宿屋でお互いを見つけ、仲間になります。
2人目の仲間はムーンブルクの王女で、城が敵の軍団に襲われて呪われ、犬の姿に変えられています。呪いを解くアイテムを見つけて犬に使うことで彼女は人の姿に戻り、仲間になります。
「覇邪の封印」では魔物の姿になっている3人目を間違って殺してしまうことができたり(パーティと同じように復活させることはできる)、2人目の仲間が娼婦のようなイメージだったりするなど、高めの年齢層向けの演出になっています。それと比べると「ドラゴンクエストII」の方は、城が襲われるなど過酷な状況ではあるものの低年齢層でもわかりやすい内容になっているかと思います。細かな演出の違いはありますが、どちらのゲームにもキャラクター性のある個性的な仲間が登場しているわけですね。
「覇邪の封印」も「ドラゴンクエストII」も、どちらも対象年齢に合わせた出会いの演出で楽しませようとしていたことが見てとれると思います。
続きの文章を書きました。ドラクエ3以降とクリムゾンシリーズに関する話題をとりあげています。興味があれば読んでみてください。