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昔のパソコンゲームの周辺文化

はじめに

このページは、以前書いた「 ドラクエ以前の国内パソコンゲーム 」 の補足です。

1980年代のパソコンゲームは、パッケージの付属品やメーカーとの交流、雑誌や書籍の文化などの中で楽しまれていました。 当時のゲームについて適切に語るためには、こういった文化的な背景もきちんと確認する必要があるだろうと思います。

このページでは、当時のゲームがどのような環境の中で楽しまれていたのかを紹介したいと思います。

ただし、自分は当時のパッケージをけっこう処分してしまっていて、手元に残っている実物はかなり少ない状況です。写真などで具体的に引用できるものを中心に説明をしているため、具体例にはけっこう偏りがあります。その点は了承いただければと思います。

なお、この文章はドラクエについて書かれた記事に対する批判から派生したものです。そのため、ゲームの歴史を語ることに関する批判的な要素が一部にふくまれています。この点についても了承いただければ幸いです。

もとの議論に関連して、今まで調べた内容を短くまとめて、初代ドラクエを紹介する文章を以下のリンク先に書いています。RPGの歴史に興味がある方がいましたら、ぜひ読んでみていただければと思います。


目次


パッケージの付属品

初期の国産パソコンゲームでは、記録メディアとして主に音楽用の「カセットテープ」が使われていました。そのため、多くのゲームが普通の「カセットケース」で販売されていました。その後、1980年代に入ってから、メディアがフロッピーディスクへと移っていくにつれて、大きな箱のパッケージで販売されるゲームが増えていきます。 同梱できるものが増えたことや、ゲームの値段が高額になりがちで付加価値をつける必要があったこと、それからもちろん、いろいろな要素でゲームを楽しんで欲しいという製作者の願いもあったと思いますが、充実した付属品をつけたゲームが次々に発売されるようになっていきます。

ここでは、付属品について紹介をしていきたいと思います。

ウルティマシリーズの伝統

「ウルティマ」シリーズは、初代からマップや書物などの付属品が充実したゲームでした。例えば「ウルティマIV」(オリジン,1985)には、プレイングマニュアルの他に、「布製マップ」と2冊の冊子(「歴史の書」「魔術の書」)それから金属製のアンク(生命と復活を象徴するマークの形をしたお守り)が付属していました。

下図の左に、日本語版「ウルティマIV」(ポニーキャニオン,1987.7)のパッケージの付属品の写真を引用しました。

布製マップと冊子の付属品の例

布製マップや冊子などの付属品は、ゲームのオープニングでプレイヤーが見つけたものとして語られ、実際に主人公がこれらの書物を読むシーンも登場します。ゲームの世界に入り込むための雰囲気づくりに一役買っているわけですね。もちろん、マップも書物も単なる雰囲気づくりだけではなく、一部は謎解きなどに利用します。

それだけでなく、ゲームの中で明かされる大きな謎が、実はこれらの書物のひとつに描かれていたマークと深く関連づけられていました。ゲームの中で探し求めていた謎が、実ははじめから手元に実物として存在していた、という演出になっているわけですね。ゲームをプレイしていた当時、今までなにげなく見ていたマークに大きな意味があったとわかったときに、心の底から感動したのを今でも覚えています。

このような仕掛けは、付属品がなければ絶対に経験できない要素だと思います。

国産PCゲームへの波及

ゲームにマップをつける文化は日本にも根づいていきます。「覇邪の封印」(工画堂スタジオ,1986.7)の布製マップとメタルフィギュアなどは有名ですね。他のメーカーでは紙製の地図を付属することも多かったですが、工画堂スタジオは1989年に発売された「ナビチューンドラゴン航海記」でも布製マップをつけるこだわりを見せていました。上図のウルティマIVの付属品の右側に、ナビチューンドラゴン航海記の付属品の写真を引用しましたが、これを見るとマップが布製だったことが確認できると思います。

「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」(日本ファルコム,1989.12)や「エメラルドドラゴン」(グローディア,1989.12)などにもマップは付属していました。ただし、布製ではなく、前者はマット生地に近い繊維質の用紙、後者は完全に紙製のマップでした。下にパッケージの写真を引用します。

ドラゴンスレイヤー英雄伝説とエメラルドドラゴンのパッケージ

もちろん、冊子でゲームの世界を広げる試みも、国産パソコンゲームに取り入れられていきます

初代「夢幻の心臓」(クリスタルソフト, 1984.3)には、世界観を描いた「魔導の書」と「夢幻界創世記」が付属していました。「ザ・スクリーマー」(マジカルズゥ, 1985)のパッケージがゲームの前日譚を描いた漫画になっていたことなども、よく知られていますよね。

「ザナドゥ」(日本ファルコム, 1985.10)に付属のモンスターマニュアルや、続編の「ザナドゥ・シナリオII」(日本ファルコム, 1986.10)に付属のショップガイドなども有名だと思います。

下図の左は「サイオブレード」(T&Eソフト, 1988.11)のマニュアルからの引用です。パッケージについていた冊子には、ゲームの前日譚がカラフルな漫画で描かれていて、それがゲームへの導入を後押ししていました。右の2枚の画像は「スナッチャー」(コナミ, 1988.11)からの引用で、右図の上を見ると、このゲームでも漫画で前日譚を描く手法が採用されていたことが確認できます。同時期に発売された2つのゲームで漫画による導入がなされていた点が面白いですよね。

マニュアルを利用した世界の表現

右下は設定資料集のページからの引用です。スナッチャー(敵バイオロイド)やロード・ランナー(ライバルの乗るバイク)などのような様々な設定が掲載されていて、ゲームの世界の広がりを感じられるようになっていました。

こういった付属品もふくめてゲームが楽しまれていたわけですね。

付属品を使った遊び

付属品を前提とした遊びを提供しているゲームもありました。

「ラストハルマゲドン」(ブレイングレイ,1988.7)には、世界中にちらばった108枚の石板を集めるというイベントがあります。このゲームのパッケージには紙製のマップとシールが付属していて、この石板集めは、自分の手元でマップを完成させるアナログな遊びと連動したイベントになっていました。

下図の左はラストハルマゲドンの付属品、右は自分がプレイしたときに作成したマップの一部を拡大して引用したものです。拡大したマップのほうを見ると、左側と下側に「緑色の背景に白い四角形が描かれたシール」が貼られているのが確認できると思います。また右上には「横長の立方体の絵が描かれたシール」が貼ってあります。ゲーム内に登場する石板や建物などのシールが用意されていて、それを貼り付けながらゲームを楽しむ仕組みになっていたわけですね。

地図とシールを使ったアナログな遊びと連動していたラストハルマゲドン

石板を見つけたらシールを貼って番号を記入していって、地図がどんどん完成へと近づいていくところが、とても楽しかった記憶があります。

ただし、この仕組みにはひとつだけ問題があって「セーブのタイミングによっては全滅してロードしたときに手元のマップとゲーム内の状況に違いが生じる」ことがありました。手元のマップのほうでは見つけたことになっているのに、ゲーム内では見つけていないことになってしまうことがあったわけですね。自分も確か最後に数があわなくなって、マップを見ながら確認してまわったのが懐かしい思い出です。

なお、ゲーム内に石板の位置などを表示する機能がないことやコンシューマ版で石板の数が減らされていることなどから、付属品の話にはまったくふれずに「ゲームバランスの放棄に近い」などといった批判をする人もいるようです。そういう人は、もしかしたら中古品や不正なコピー品などでプレイをしていたり、動画を見たり話を聞いたりしただけでこの仕組みのことを知らずに批判をしたのかもしれませんね。

この文章を読んでくれたみなさんには、パソコン版の「ラストハルマゲドン」が「付属品によるアナログの遊び」と連動していたことを確認したうえで、不公正な情報を広げない努力をしていただけると嬉しいです。

他の事例として、「マンハッタンレクイエム」(リバーヒルソフト,1987.7)の写真を下に引用しました。

手帳に情報を書き込んで推理を楽しめたマンハッタンレクイエム

このゲームは、プレイヤーが主人公の「J.B.ハロルド」として様々な登場人物たちに聞き込みなどをしながら事件の真相を解き明かす推理もののアドベンチャーゲームです。上図の左はこのゲームの付属品の写真です。マンハッタンの地図、主人公に送られてきた3通の手紙、探偵手帳、それから、登場人物の顔のシールが付属していました(ただし、シールは全て使ってしまったため上の写真にはうつっていません)。

付属品の探偵手帳には登場人物や手掛かりなどを記録する専用のページが用意されていて、そこにゲームの中で得た情報を書き込んでいくことで、様々な情報を整理できるようになっていました。

上図の右は、当時、自分が遊んだときに作成した登場人物のページのひとつを拡大して引用したものです。登場人物用のページには、顔のシールを貼る場所と、名前、年齢、性別、血液型、出身地、住所、勤務先、家族、経歴などを記入する領域があらかじめ用意されています。 そして、上で引用した写真のように、ゲームの中で新しい人物と出会ったら、手帳の新しいページに該当する人物のシールを貼り、名前や年齢などの聞き込みをした結果を書き込んでいきます。 そうすることで、いろいろなことが見えてくるようになっていました。例えば、まだ記述のない部分があれば、そこがまだ判明していない情報だと気づけますよね。

この手帳を使えば、メモを頼りに聞きこむ対象や内容を検討したり、本人からは得られなかった情報を補完したり、家族や備考欄にメモしたアリバイの情報などにもとづいて人間関係を整理したり、矛盾点を推理したりしながら、事件の真相にせまっていくことができます。

まるで本物の探偵になったような気分で、自分で書き込んだ手帳を見ながら調査や推理を楽しむことができるゲームだったわけですね。このようなリアルな体験も付属品があるからこそできる遊びでしょう。

ちなみに、自分はこのソフトをパソコンゲームの自動販売機として有名な「ソフトベンダーTAKERU」で購入しています。これは1986年から1997年まで全国のパソコンショップで稼働していた販売機です。タッチパネルなどで購入したいゲームを指定し、料金を投入すると、フロッピーディスクなどのメディアが出てきて、それを所定の場所にセットすることで、ゲームが書き込まれるという仕組みになっていました。

この自動販売機では、説明書などについては、基本的には、内臓されたプリンタで簡易マニュアルが印刷される形式になっています。ですが、一部のゲームでは、それとは別に付属品を手に入れる手段が提供されていました。「マンハッタンレクイエム」の付属品については、かなり昔のことで記憶があいまいですが、確か郵送で送ってもらったように思います(店頭で入手できるゲームもあったかもしれないので、もし間違っていたらすいません)。

簡易的なマニュアルで済ませるのではなく、ちゃんと付属品が手に入るように配慮をしてくれたわけですね。発売元のリバーヒルソフトは、付属品の探偵手帳などもゲームを楽しむための重要な要素のひとつとして、とても大切にしていたんだろうと思います。 当時の自分もこのリアルな遊びと連動した体験にワクワクしながらゲームを楽しませてもらいました。

実物を使った謎解き

ゲームの世界の中で登場する道具の具体的な実物をパッケージに同梱したゲームもありました。その中には、雰囲気づくりや重要なアイテムであることを伝えるためにつけたと思われるもの(例えば「クリスタルプリズン」の「ひまわりの種」など)もありました。それだけではなく、ゲームの中の主人公と同じように、現実の世界の中で、その道具を操作して謎解きをするものもありました。

「サイオブレード」(T&Eソフト, 1988.11)では、暴走したコンピュータにアクセスするためのコードが記録された「メロディーモジュール」という装置が登場するのですが、その本物の装置がゲームのパッケージについてきました。下図の左にその写真を引用しました。

この装置には短い曲のフレーズがいくつか記録されていて、ボタンを押すたびに、それが順番に流れます。ゲームの中の主人公たちのかわりに、これを使って謎解きをするリアルな体験ができました。

ゲーム内に登場する道具の実物をパッケージに付属させた例

1990年代のゲームではありますが、「ジーザスII」(エニックス, 1991.3)のアイデアもなかなか秀逸でした。 PC88版の「ジーザスII」はフロッピーディスク6枚組のゲームで、それぞれのディスクはラベルによって6色に色分けがなされていました。上図の右にそのディスクの写真を引用しました。

このゲームでは中盤から4枚のディスクが問題解決の鍵を握る展開になるのですが、ゲームの画面上に表示されるこれらのディスクのイラストにもカラフルな色がついていました(ただし、ゲームの中の登場人物たちは通し番号でディスクを識別しているため、メッセージでは色への言及はありません)。そして、終盤ではそれらのディスクの「色」を使った謎解きが登場します。このとき、プレイヤーは実際にパソコンの前で実物のフロッピーディスクを操作をすることで、ゲームの中で発生している問題を解決することになるのです。

ゲームと現実を関連させた面白い試みですよね。ちなみに、主人公の名前は「五色和也(ごしきかずや)」。クリアした後でこの一致に気づいたときには「やられたなぁ」と思いました。

付属品との関係はありませんが、実物を使った謎解きの面白い事例にPC88版「スナッチャー」(コナミ, 1988.11)があります。このゲームの中では、プレイヤーがゲームをするのに使っているのと同じパソコン(PC88)と「家を探せ!」と書かれたメモが登場します。そして、このメモの謎を解いてパソコンを起動する必要があるのですが、このシーンでは、実際に自分のパソコンをゲーム内のパソコンとみなして謎解きをするのです。実物のキーボードをよく見ると「家」に相当するキーがあるのが見つかるんですよね。これもゲームとリアルをつなぐ面白い謎解きだと思います。

ちなみに、コンシューマ版はキーボードが使えないため、この現実とゲームが連動する遊びだった「家を探せ!」の謎解きは、別のものへと差し替えられています。

付属品によるプレイガイドの提供

ゲームのヒントに相当するものが付属しているゲームもありました。これまでに書いた別の文章でも指摘していますが、例えば「夢幻の心臓」のパッケージに付属の「魔導の書」には最後の迷宮に入るためのヒントが書かれていましたし、スタークラフトが移植した海外アドベンチャーゲームの廉価版には白地図や言葉探しが難しい単語などが掲載されたガイドが同梱されていました。下記のリンク先で解説しているので、よかったら読んでみてください。

その他の具体的な例として、下にPC88版「リザード」に付属していた白地図と、Project EGG が「ザ・トリロジーズ」で復刻した「ハイドライド」の「取り扱い説明書」(p.5)に記載されていたアイテムの説明を引用しました。

付属品によるヒントの例

「リザード」は10階建ての塔を攻略していくゲームですが、パッケージには7階までの白地図がついていました。疑似3D形式のダンジョンは苦手な人もいるかと思いますが、白地図をつけることでそのフォローをしていたわけですね。

「ハイドライド」は、ゲームの中ではヒントをほとんど提示しませんが、マニュアルを読むといろいろなヒントが得られるようになっていました。例えば、正義の盾については「誰かに盗まれた」と書かれていますし(誰かが持っている=誰かを倒せば手に入るかもしれないと推測できる)、十字架の説明として「何者かがこれを恐れて何処かへと隠した」と書かれていたことも確認できます(持っていれば何者かとの戦闘で有利になるかもしれないと推測できる)。

もちろん、解法を直接的に明示していたわけではありませんが、「ハイドライド」は、マニュアルの中で様々なヒントを提示していたゲームだったのです。

マニュアルの扱いについて

ちなみに「紙のマニュアルなんて読まないよ」という人をときどき見かけます。初期のカセットテープで販売していたころのようなシンプルなゲームや、最近のチュートリアルが完備されたゲームであれば、マニュアルを読まなくても遊べると思いますし、当時プレイしていた人たちの中にも「最初はマニュアルを読まずにプレイする」という人は確かにいたと思います。

ですが「プレイに行きづまっても、かたくなにマニュアルを読もうとしない」となると話は別で、自分はこれはとても不自然だと思います。

中古での購入などでマニュアル自体が手元に存在しないのならしかたがないですし、ショップのワゴン販売で数百円で手に入れたり、大人になってから大量に買いあさった中の1本だったりして、行きづまっても簡単に捨てられるような状況なら、まだ理解はできます。ですが、当時のゲームもそれなりの値段はしましたし、それにもかかわらず行きづまっても「絶対にマニュアルを読まない主義」をつらぬく人が当時そんなに多かったとは思えません。

マニュアルを読んでも内容が理解できないということはあるかもしれません。ですが、困っても読まないというのはあまりにも不自然すぎます。マニュアルを読まないという話が出たときには、それがいったいどういう文脈なのか(いつどのタイミングでの話なのかなど)を、よく考えてみて欲しいところです。

また、当時のパソコンゲームのマニュアルは、単に操作方法が書いてあるだけのものではありませんでした。

例えば、dB-SOFT は1983年に「パソコン・ノベルス」というマニュアルで物語を表現したシリーズを展開しています。下図にシリーズのカタログを引用しましたが、そこでは「ゲームと小説をミックス・ダウンした新しいジャンルのゲーム!!」と説明されています。パッケージの裏面には「パッケージ、マニュアル、そしてストーリーとゲームを織りなし、無限に広がるドキュメンタリーを創る。新しいジャンルのゲーム、パソコン・ノベルズにとりくんでみたい。」とも書かれていました。

dB-SOFTのパソコン・ノベルズ

第1作目の「バイトン」(dB-SOFT, 1983)は、制限時間内に見えない敵を倒して3D迷路を脱出するゲームだったのですが、マニュアルには、マヤ族の地下迷宮の秘宝を求めた探検家の日記を入手したプレイヤーが、その後を追うという、背景のストーリーが描かれていました。遊び方も物語風に書かれていて、例えば制限時間は迷宮に充満していく有毒ガスとして表現されていました。ワイヤーフレームで描かれた単純なゲーム画面でしたが、当時小学生だった自分は、迷宮に閉じ込められた状況を想像して、ドキドキしながらゲームを楽しんでいました。

とても面白かったので、このシリーズの「マリンピット」と「ペッター」も購入しました。ただ、前者はゲーム自体がいまいちな感じで、後者はゲームとしてはとても面白かったのですが、物語は左官屋のサムおじさんの仕事を描いたもので、「バイトン」ほどの魅力は感じなかったように思います。 いずれにせよ、説明書などもゲームを構成する重要な要素のひとつと考えてアピールをしていたメーカーがあったわけですね。

その他にも、当時のパソコンゲームのマニュアルには、物語のプロローグやその世界の伝説が載っていたり、イラストで雰囲気を描いたり、序盤のテクニックや、開発者からのメッセージを載せたりするなど、様々な趣向を凝らしたものがありました。

小中学生だった当時の立場からすると、ゲームはけっこう高価だったので、自分はマニュアルや付属品もふくめて隅々までパッケージ全体を楽しんでいました。開発者の方々が丹精を込めて作ったものだとも考えているので、「マニュアルなんて読まない」と言って、簡単に切って捨てられるような人たちには、自分は全く共感できないんですよね。まぁ、本当にそんなことをしていたのなら、そもそもマニュアルの「価値」そのものにも気づけないんだろうとは思いますが。

一般的な話ですが、当時のゲームをふりかえって評価をする際には、できるだけマニュアルなども確認をしたほうが良いだろうと思います(実物の入手が困難なので難しいとは思いますが)。

例えば初代「ウルティマ」は、キーボードの各キーに機能が割り当てられているので、ゲームを適切にプレイするにはマニュアルで操作方法を確認する必要があります。 もしマニュアルを見ずに、手探りでキーの割り当てを知ろうとしたら、おそらく迷宮内で下の層へと降りるハシゴを見つけられなくなるでしょう。なぜなら、初代ウルティマの迷宮には「隠し通路」の要素があるからです。

マニュアルの「I」のキーの説明には「Information & Search …… ある場所に入ったときに、場所やものの名前を表示させます。また、ダンジョンにおいて、隠れているドアや通路を表示する機能もあります。さらに(引用者注:以後省略)」(日本語版 Ultima Collection PDFマニュアル, p.3)と書かれています。 これを読めば迷宮内で「I」キーを押して通路を探す必要があるとわかります。しかし、手探りで操作方法を知ろうとすると、前半に書かれたInformationの機能しかないと誤解をしてしまい、隠し通路があることに気がつけないかもしれません。

初代「ウルティマ」の迷宮はランダムに生成されるのですが、このことに気づいていないと「質の低いダンジョン生成アルゴリズムを利用している」などの間違った評価をしてしまう可能性があります。

自分も実際のゲームの動作などを確認するときなどに、ネット上の動画などを頼りにせざるをえないことがあるので、誤解を生まないように注意をしていきたいところです。

特に、ゲームを「批判」する場合には、誤解にもとづく不適切な批判にならないように、マニュアルや付属品などもふくめてよく確認をする必要があるだろうと思います。

マニュアルプロテクト

当時のパソコンゲームはフロッピーディスクで販売されていたため、正規に購入をしていない人によって不正にコピーされてしまうという問題がありました。そのため、各メーカーは不正コピーに対する様々な対策をしていました。

多くのゲームでは、ディスクそのものに細工をして容易にはコピーできないように保護する「プロテクト」をほどこしていました。しかし、各ゲームごとにそのプロテクトを外してコピーをする方法を提供する業者などもいました。そのため、ディスクだけで対策をするのには限界もありました。

他の方法として「たとえディスクが不正にコピーできたとしても付属品がなければゲームを遊んだり楽しんだりできなくする」という対策もとられていました。これがいわゆる「マニュアルプロテクト」です。 前述の文章で付属品の様々な活用方法をとりあげましたが、それにはマニュアルプロテクトの側面もあったわけですね。

海外のゲームの移植作品ですが、典型的なマニュアルプロテクトの例として、PC98版「ポリスクエストII」(シエラオンラインジャパン, 1989移植 / 原作はSierra On-Line, 1988)の事例を下に引用します。

典型的なマニュアルプロテクトの事例

このゲームを起動すると、オープニングのアニメーションの後に、上図の左のような画面が表示されます。この左上に表示されている証拠写真の顔の絵はゲームを起動するたびに変化します。そして、この表示されている人物の名前をキーボードで適切に入力しないと、ゲームが強制終了してしまう仕組みになっていました。

上図の右は、このゲームに付属の説明書に掲載されていたページの一部を拡大して引用したものです。このページには10人ぶんの「人物の顔の絵と名前」が記されています。つまり、ゲームを開始するには、この説明書を見て画面に表示されている証拠写真と一致する顔の絵を探しだし、その人物の名前を入力する必要があるわけですね。

たとえフロッピーディスクをコピーしたとしても、付属品の説明書がなければゲームを遊べなくするという、典型的な「マニュアルプロテクト」の一例と言えるだろうと思います。

ポリスクエストIIのこの仕組みは、ゲームの世界観にそったものにはなっているものの、不正コピー対策のためだけに導入された仕組みと言っていいと思います。このゲームには、他にも説明書を持っていないと十分にはゲームを楽しめない要素があります。ですが、この起動時の仕組みについてはマニュアルの該当するページを紙でコピーしてしまえば解決するという問題が残っていました。

もちろん、その対策をしたゲームもありました。以下にその事例に関連する画像を引用しました。

その他のマニュアルプロテクトの事例

上図の左は「あーくしゅ」(ウルフチーム,1989.12)のマニュアルに掲載されていたキャラクター紹介のページからの引用です。ゲームの世界観をふくらませる情報が掲載されているわけですが、不正な方法でディスクをコピーした人は、わざわざこのページをコピーした紙を所持しておこうとは思わないかもしれません。しかし、これもマニュアルプロテクトのひとつでした。

このゲームでは、物語をかなり進めたところで、話の展開の中で、キャラクターの特徴に関する質問がなされます。その場面では説明書のこのページを調べて適切な回答をする必要があるのですが、そのときに説明書を持っていないと正しい回答ができずにゲームを進めることができなくなります。

ゲームをはじめた最初の時点では、マニュアルのどのページが重要かがわからない仕組みになっているわけですね。最初はゲームを普通に開始できるけれども、途中で付属品がないと先へ進めなくする、というのも、比較的よく使われていたマニュアルプロテクトの事例です。

上図の右はちょっと特殊な例ですが、PC88版「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」(日本ファルコム,1989.12)のパッケージに付属していた魔法の呪文の説明書をカメラで撮影したものです。

このゲームでは各魔法に「フラム」、「インパス」、「サクト」、「レジナ」などの独特な名前がつけられているのですが、ゲーム内には魔法の効果を表示する機能がありません。単語の雰囲気でなんとなく効果が推測できるものもありますが、正確な情報はこの説明書にしか掲載されていませんでした。

そして、その情報は銀紙の上に印刷されていました。そのため、引用した画像のように、写真を撮影しても光の乱反射によって文字を読むことができない仕組みになっていました。コピー機で複製をしようとしても、同様に文字を印刷することは不可能でした。

魔法の説明書を簡単には複製できなくすることで、正規ではないプレイヤーが十分にはゲームを楽しめなくするという対策をしていたわけですね。

不正コピー対策というあまり前向きとは言えない要素ではありますが、パソコンゲームの付属品には様々な工夫がなされていたということがわかる事例だと思います。


メーカーとの交流

ヒントの請求

当時のゲームの謎解きには難しいものも多かったですが、そのかわりにヒントを請求できるものもたくさんありました。対応のしかたもメーカーごとに違いがあって、 紙切れに答えが書かれただけのそっけない返事が来るものから、ゲーム全体のヒント集(あるいは回答集)が送られてくるケース、とても丁寧なヒントが手書きで書かれたお手紙がもらえるケースや、質問への回答の他にグッズ的なおまけをつけてくれるケースなどもありました。

下図は「ザ・トリロリーズ」(Project EGG)で復刻された「ハイドライド」と「夢幻の心臓II」のPDFマニュアルから引用したものです。どちらも「電話」での質問には答えられないという主旨のことが書かれている点は共通しています。

メーカーへのヒントの請求

左は「ハイドライド」のマニュアルの8ページ目からの引用で、申し込み書と100円切手を送ることで「ハイドライド手引書」が入手できることが記されています。「ザ・トリロジーズ」には、復刻されたヒント集のPDFも「MANUAL2」という形でついているのですが、そこにはクリアまでの主人公の行動が物語風の文章でびっしりと書かれていました。

右は「夢幻の心臓II」のマニュアルの38ページからの引用です。ヒント請求券が6枚印刷されていますが、これを切り取って往復はがきに貼り付けたうえで、質問を書いてメーカーへと送ると、先へ進むためのヒントがもらえる仕組みになっています。つまり、 6 回ぶんの「自由に質問ができる権利」がゲームに付属しているわけですね。

ちなみに、「夢幻の心臓II」のマニュアルの34~35ページには、プレイヤーである「勇者」に対して、レンタル業者や雑誌の改造記事やヒント業者などにまどわされないように注意喚起をする文章が載っていて、そこにはゲームの世界で困ったときの対処方法として「ソフトハウス城へ助けを求めてください」と書かれていました。ゲームの世界観にそった文章が使われているわけですね。そして、その話の流れの中でヒント券の仕組みが紹介されています。なかなか面白いアイデアですよね。

ゲームクリアの認定

ゲームをクリアしたときに、そのことを証明する「終了認定証」がもらえるゲームもありました。

「夢幻の心臓II」では、上述のヒント券が印刷されているページのちょうど裏側に「終了認定証請求券」が印刷されていて、その請求券と一緒に「クリアしたときに表示されるパスワード」と「主人公につけた名前」と「終了時のレベル」の情報をメーカーへ送ると「夢幻の心臓II終了認定証」がもらえるという仕組みになっています。

ただし、ヒント請求券と終了認定証請求券は1枚のページの裏と表になっているので、どちらか一方を使うともう一方は使えなくなります。自分はそれでもたもたして結局どちらも請求できなかったのですが、ネットを検索してみると実物の写真がけっこう出てきたりして、とてもうらやましく思います。

ちなみに、ネットで見つけた認定証の写真の表に書かれた番号を見ると 4000番代のものもあることがわかります。もしこれが一意の通し番号なのだとしたら、ヒント券を使わずにゲームをクリアしたうえで、ハガキを送る手間までかけて認定証を入手した人が、当時の国内に4000人以上いたことになります。 これが本当に通し番号なのかどうか気になるところですね。

メーカーとの交流に関連して個人的にとても良い経験として想い出に残っているのが、下図の左にパッケージの写真を引用した「クリスタルプリズン」(ボースティック,1986.4)です。

クリスタルプリズンのパッケージと終了認定小説

中央に引用した緑色の冊子はゲームをクリアしてメーカーからいただいた「終了認定証」の役割をもった「小説」です。このゲームは記憶を失って屋敷で目覚めた主人公が事件の真相を究明する屋内探索もののアドベンチャーゲームなのですが、この冊子には主人公の視点でクリアまでの道筋が小説の形で書かれていました。

右は最後のページの奥付からの引用です。撮影の質が悪くて申し訳ないのですが、ここには「記憶回復認定証」「あなたは無事、記憶を回復し、事件を解決したことをここに記します」と書かれています。「何番目のクリアなのか」と「認定した日付」も記述されていて、自分は36番目で昭和62年1月29日に認定してもらったことがわかります。氏名は自分で記入する仕組みになっていて、当時、自分の名前を書いたのですが、その部分は引用時に黒塗りにさせてもらいました。

この時期にはもうアドベンチャーゲームの人気はかなり下火になっていて、しかもコマンド入力式のゲームでもあったので、これをリアルタイムでプレイした人はそれほど多くないかもしれません。そういう意味では、けっこう貴重な品なんじゃないかなと思います。

なお、「夢幻の心臓II」などとは違い、このゲームはヒント券を使っても終了認定してもらえるようになっていました。そのため、当時の自分は、机の開け方がどうしてもわからなかったときに、ヒント券を使ってメーカーへと質問をしました。かなり昔の記憶で実物も手元にないので証明などはできないのですが、質問への返信として、ちょうどいい感じのヒント(直接の回答ではなく気づかせる感じの情報)が書かれた丁寧な手書きのお手紙をいただいて、確かそれと一緒に組み立て式の屋敷の地図などのグッズももらったと思います。それまでに使ってきたヒント券の回答にはそっけないものもあったのですが、この「クリスタルプリズン」の素晴らしい返信が来たときには、とても嬉しかった記憶があります。

こういったメーカーとの交流も、当時のパソコンゲームを楽しむひとつの要素だったのです。


雑誌や書籍の文化

雑誌のQ&A記事

当時の雑誌でもゲームに関する様々な情報は得られました。 当時、自分がよく利用していたのが、「マイコンBASICマガジン」に掲載されていた「山下章のレスキュー!!アドベンチャーゲーム」のコーナーでした。 この連載は、アドベンチャーゲームのレビュアーとしてとても人気の高かったライターの山下章さんが、クリアに困った読者から送られてくる質問にQ&A形式で答えるものでした。

誌面の雰囲気をつかんでもらうために、下図に1986年1月号(p.262)から、このコーナーのタイトルの部分と、ひとつめの質問と回答の部分を引用しました。なお、山下さんとつぐみちゃんが担架で相談者をはこんでいるイラストが描かれていますが、この中央の部分には実際には顔写真が貼られています。はがきを送った一般人と思われるため、顔写真と右側の文末に記された氏名の部分は引用時に黒塗りにしてあります。

雑誌で展開されていたレスキュー記事の事例

左上に引用した画像の右側には「どうしても解けないゲームに関する質問や、かくれ情報など、みなさんからのお便りに、山下章先生がこたえてくれます」というこのコーナーの主旨が書かれています。また、この画像の左下には「Q&Aコーナー」という見出しがあるのも確認できます。当時のパソコンゲームのプレイヤーたちは、雑誌のこのようなコーナーを読んだりはがきを送ったりしてゲームを楽しんでいたわけです。

右に引用したQ&Aの内容を読むと「アビスII~帝王の涙」というゲームでのホバーカーの入手方法に関する質問がされていて、その回答として、直接的な解法ではないヒントが載っていることがわかります。ヒントをたよりにしつつも自分で考えて謎を解く楽しみ方を大切にしていたことがわかるだろうと思います。

ちなみに、各質問の最後には、その質問者の「居住地」と「氏名またはペンネーム」と「年齢」がカッコ書きで記載されています(引用したQ&Aの氏名の記述はペンネームだと思われるため、黒塗りにはしませんでした)。

これらの情報を調べることで、当時のパソコンゲームのプレイ層(雑誌に質問を送る人たち)の傾向が、ある程度把握できるだろうと思います。そこで、最初の2ページに掲載されているQ&Aのゲームタイトルと相談者の居住地(都道府県まで)と年齢を列挙してみました。

「アビスII帝王の涙」(新潟県,13才)、「ブラックオニキス」(新潟県,13才)、PC6001版「ミステリーハウス」(埼玉県,15才)、「エルドラド伝奇」(新潟県,年齢不明/?才と表記)、「PC6601版「不思議の国のアリス」(千葉県,13才)、PC88版「アリス」(愛知県,年齢不明/?才と表記)、「暗黒城」(兵庫県,15才)、「ウィル」(埼玉県,13才)、「ホーリーグレイ」(愛知県,15才)、「ウイングマン」(北海道,11才)、PC8001mkII版「ポートピア連続殺人事件」(群馬県,15才)。

ちなみに、コーナー名にはアドベンチャーゲームという単語が使われていますが、RPGである「ブラックオニキス」やアクションゲームの「ホーリーグレイ」なども掲載されています。いろいろなジャンルのゲームを扱っていたわけですね。

地域については新潟県からの質問が目立っているのが面白いですが、全国各地から送られてきているのがわかると思います。 また、中学生くらいの年齢の人たちからの質問が中心であることがわかります。

自分は当時中学生でパソコンゲームを楽しんでいたわけですが、全国各地の同年代の人たちも、自分と同じように雑誌の記事なども参考にしながらパソコンゲームを楽しんでいたことが、とてもよくわかるだろうと思います。

ちなみに、自分は他の文章などで、当時のパソコンゲームのプレイヤーについて「中学生高校生をふくむ」と書いていますが、こういった雑誌記事の事例もその根拠のひとつになっています。残念ながら、この指摘に対して批判的なコメントがつくこともありますが、ぜひみなさんには、そういった批判が「検証可能な当時の資料にもとづいた判断なのか、それとも、現在の感覚で推測したものなのか」を冷静に考えてみていだだけたら嬉しく思います。

ゲームを楽しむ様々な情報

山下章さんが担当していた「チャレンジ・アドベンチャーゲーム」というコーナーも、毎月楽しみにしていました。このコーナーではゲームの流れにそって何枚もの画面を提示しながら、そのゲームの魅力を紹介していました。

直接的な話の展開や先へ進める具体的な方法などは上手に隠しながらも、難しい場面やいきづまる可能性の高い場面では軽くヒントなどを出しながら、プレイしていない人でもゲーム全体の雰囲気をつかめるような、読み物としても楽しめる記事になっていました。

自分が当時あこがれていたゲーム開発者の「竹中コンビ」(ハドソンソフトの竹部隆司さんと中本伸一さん)をはじめて知ったのも、このコーナーでした。

このコーナーの記事を再編集したうえで、様々な情報を加えて発売されたのが「チャレンジ!!パソコンアドベンチャーゲーム」(山下章 著, 電波新聞社, 1985.11)という書籍です。自分にとって、この書籍はバイブルのようなものでした。新しくゲームを購入するときの参考にしたり、友達の家へ遊びに行ったときに持参して一緒にワイワイとゲームを楽しんだりしていました。以下にそのページの一部を引用しました。

様々な情報を扱っていたチャレンジパソコンアドベンチャーゲーム

上図の左は第1章で「ゲームの種類分け」をしているパートからの引用です。このページを見ると「目的による分類」をしていることが確認できると思います。

このパートでは、当時のアドベンチャーゲームに対して「目的による分類」(宝探し/救出/推理/その他)、「背景による分類」(SF/ファンタジー/パロディ/シリアス/その他)、「形態による分類」(画面:テキスト版/グラフィック版、入力方法:英語/日本語/英語+日本語/カーソル選択/テンキー選択)という視点で、ゲームの分類をしていました。

様々な視点で分類して整理することができるほど、当時のアドベンチャーゲームはとてもバラエティに富んでいたわけですね。

上図の中央に引用したページは、第4章の「アドベンチャー・ソフト総カタログ」からの引用です。この写真は一部を拡大したものですが、この例のように、ひとつのゲームに対して1枚の画像と数行のコメントによる紹介がなされています。

このカタログでは、このような紹介がひとつのページにつき16個のっていて、そのページが14ページつづきます。そして最後の15ページ目には6個のゲームの紹介と、取り上げたメーカーの住所の一覧が掲載されていました。つまり、230本ものゲームが紹介されていたわけですね(16×14+6=230)。ただし、まだ発売されていない開発中のゲームも16本程度紹介されていて、その中には実際に発売されたもの(「ウイングマン2」「はーりーふぉっくす雪の魔王編」など)だけでなく、発売されなかったもの(「タイムシリーズ第3弾」(タイムトンネルの続編)など)も記載されていました。

掲載されているゲームの中には、ゲームの場面が2~3個程度しかなく内容も簡単な単語当てクイズでしかないような質の悪いものや、ミニゲームにちょっとしたストーリーをつけただけの内容が微妙なものなどもありました。そういったゲームもふくまれてはいますが、1985年の年末の時点で、200本以上ものアドベンチャーゲームが販売されていたわけですね。

それから、引用したページを見ると、一部のゲームの紹介文の上に薄い赤色でマークが描かれているのが確認できると思います。これは著者の山下章さんが独断によってつけた各ゲームのランクを、★、◎、〇、無印、で表現したものです。残念な感じのゲームも確かにあったので、当時、新しくゲームを購入する際には、このマークをよく参考にさせてもらっていました。

ちなみに、続編にあたる書籍「チャレンジ!!パソコンAVG&RPG」(山下章 著, 電波新聞社, 1986.4, 内容は1986.12の再刊版で確認)には「RPG総カタログ」の章があって、そこでは81本のRPGが紹介されていました(一部にRPGといえるか微妙なものもありますが)。ただし、別メーカーが移植したゲームは重複して掲載されていて、「リザード」は3つ、「ザ・ブラックオニキス」と「ハイドライド」と「ドラゴンスレイヤー」は2つ掲載されています。開発中とされているのは「ロストパワー」と「覇邪の封印」の2本で、これらは1986年の中旬に発売されています。その他にいくつか発売予定のものが掲載されていますが、ざっと見た限りでは「ザ・ムーンストーン」と「シオン」以外はほぼ全て実際に発売されていると思います。なお、このリストには「ドラゴンクエスト」などのファミコンのゲームも載っています。未掲載のものも考慮して言い換えれば、初代ドラクエの発売と同時期の1986年には、約80本ものRPGが存在していたわけですね。当時のRPGの人気ぶりがうかがえます。

上図の右は目次のページの一部を拡大して引用したものです。この書籍の目次のページは、細かい部分を意識せずにざっとながめると、周囲の余白の部分が模様で飾られているように見えます。ですが、拡大して引用した画像を見ると、「イウ」「ワタル」「ムスブ」「ハメル」などのカタカナになっていることがわかります。

模様のように見えるこの部分は、実はキーボードを使って単語を入力して遊ぶコマンド入力式アドベンチャーゲームで使われる「日本語の動詞の一覧表」になっているのです。ちなみに、英語の動詞は書籍の表紙に書かれています。

この一覧表は、コマンド入力式に関連してよく話題にあがる「言葉探し」で、とても役に立ってくれました。例えば引用した部分にある「シュウリスル(修理する)」のような単語は、なかなか思いつかないだろうと思います。でも、この一覧表を事前に見ていれば、例えば「故障した機械がある」という場面に出くわしたときに「もしかしたら使えるかもしれない」と思いついて、実際に試してみることができますよね。

この書籍には、その他にも例えば「制作秘話」や「原画」「絵コンテ」「白地図」など、当時のアドベンチャーゲームに関する様々な情報が掲載されていました。

下記のリンク先では第5章に掲載されていた「ミコとアケミのジャングルアドベンチャー」の開発記でのコマンド選択式に対するコメントも引用しています。興味があれば読んでみてください。

今の視点で当時のゲームを見ているだけではわからないかもしれませんが、当時、パソコンゲームを遊んでいた人たちの周囲には、このようなゲームを楽しむための豊富な情報があふれていたのです。

多彩で豊富だった月刊誌

自分は、「マイコンBASICマガジン」を定期購読していて、他の雑誌は興味のある話題が載っていた場合に個別に買う程度でした。ですが、1980年代半ばごろには、パソコンゲームを扱った数多くの雑誌が発行されていました。

定番の有名な雑誌だけでも、「月刊ログイン」「月刊ポプコム」「テクノポリス」「コンプティーク」の4誌があり、その他にも、「MSXマガジン」「Beep」「アソコン」「遊撃手」など、数多くの雑誌に、パソコンゲームの情報が掲載されていました。

これだけ多くの種類の雑誌が発売されるほど、当時のPCゲームの文化はにぎやかだったわけですね。

それぞれの雑誌ごとに特長があり、パソコンゲームの記事の分量も雑誌ごとに様々ではありましたが、当時パソコンに関心があった人たちは、これらの雑誌を介して、実際に遊んでいないものもふくめて、様々なゲームの情報を手軽に入手することができていました

当時、小中学生だった自分も、雑誌で様々な情報を得ながら、パソコンゲームをぞんぶんに楽しんでいました。

最後に少しだけ、ゲームの歴史を語ることについてのコメントをしておきたいと思います。

パソコンゲームの分野からファミコンなどへと参入した開発者の人たちについて、当時の国産パソコンゲームのことをほとんど知らなかったことにしたがる人たちをたまに見かけます。 その中には、当時に発行されていた数多くの雑誌について、ほとんど確認することなしに、後に書かれた文献だけを見て乱暴な推測をする人もいるようです。

そういう人たちに対しては、当時にこれだけ多くの種類の雑誌が発行されていて、関心がある人であれば誰でもパソコンゲームの情報を簡単に入手できた、ということを、まずは確認していただきたいと思っています。

当時小中学生だった自分ですらあたりまえのように知っていたことを、プロの開発者だった人たちが知らなかったとは、自分にはとても思えないのです。 当時の状況をよく確認したうえで、ご自身の発言が「開発者の人たちの当時の情報収集能力に対するとんでもない侮辱」になっていないか、もう一度よく考えなおしてみていただければと思います。


おわりに

ここでは、昔のパソコンゲームがどのような環境で楽しまれていたのか、付属品やメーカーとの交流、雑誌や書籍の文化などの視点で紹介してみました。

当時のゲームの歴史や文化を語るときに見落とされがちな視点かもしれませんが、ぜひ、このような周辺の文化についても興味をもっていただけたら嬉しく思います。


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ドラクエ以前のPCゲーム関連の文章一覧
更新履歴
2024/1/18 当時、パソコンゲームに関する雑誌が多数発行されていたことを追加。
2024/1/8 文章一覧へのリンクを冒頭に追加。dB-SOFT の「パソコンノベルズ」に関する記述を追加。
2023/5/23 チャレンジパソコンAVG&RPGの発刊月の表記をわかりやすく修正。未発売のゲームに「シオン」を追加。コマンド選択式について書いた文章へのリンクを追加。
2023/5/14 チャレアベのコーナー名を間違えていたので修正。
2023/4/23 冊子の活用に関する記述を追加。ウルティマシリーズの話と国産PCゲームの話を区切るための見出しを追加。RPG総カタログの開発中の本数の訂正と重複についての詳細を追記。
2023/4/14 マンハッタンレクイエムの付属品、マニュアルプロテクト、チャレンジパソコンアドベンチャーゲームの書籍、に関する文章を追加。読みにくい部分の表現の修正。一部を赤字で強調。
2023/4/2 当時のパソコンゲームの周辺に存在していた文化的な要素に関する文章を作成して公開(一部表現を修正)。