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国産PCゲームのポップな絵柄とエンディング (「国産RPGクロニクル」からの抜粋記事について)

はじめに

これまで「ドラクエ以前の国内パソコンゲーム」という文章を書いて更新してきましたが、それに関連して気になる記事が「集英社オンライン」というサイトに掲載されているのを見つけました。当該の記事は下記のリンク先で閲覧できます。現時点では#1~#3の3つの記事があがっています。

この記事は、2023年6月に発売された書籍「国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?」(渡辺範明 著, イースト・プレス)の文章から一部を抜粋して再構成して掲載したもののようです。

ドラクエが発売された当時の国内のパソコンゲームの状況について、それなりに知っている自分としては「当時の状況を理解していないと、誤解をまねきかねない記事」だなという印象を持ちました。

書籍をもとに書かれた記事なので、もしかしたら書籍のほうでは前提となる情報の提示や補足の説明、注意喚起などがなされているのかもしれません。 しかし、ネット上では記事の部分だけを単独で読むことができて、その記事のページには補足の情報などへのリンクも見つけられませんでした。そこで、この記事では抜け落ちていると思われる当時のパソコンゲームに関する情報について、ネット上で読めるようにしたほうが良いだろうと考えて、この文章を書くことにしました。

この文章を、この記事を解釈する際のパソコンゲーム側からの「補完的な情報」として役立てていただけると嬉しいです。


ポップな絵柄

国産RPGクロニクル #1」の冒頭の導入部分には、次の記述があります。

ここまでの『ローグ』『ウルティマ』『ウィザードリィ』『ザ・ブラックオニキス』『夢幻の心臓』そして『ドラクエ』、これらのRPGをプレイ画面のデザインで比較してみると、『ドラクエ』で突然、ポップな絵柄になるのがわかると思います

おそらく書籍のほうでは、この記述よりも前の部分で、名前があげられている各ゲームについての説明があるのだと思います。しかし、その部分をふくまないこの記事だけを読んだ場合、非常に重要な情報が抜け落ちていることに気づくと思います。それは「各ゲームの発売時期」です。

日本で発売されたRPGに限定して発売時期を付与した文章を書くと、おそらく下記のようになるだろうと思います。

1984年に発売された『ザ・ブラックオニキス』『夢幻の心臓』、そして、1986年に発売された『ドラクエ』、これらのRPGをプレイ画面のデザインで比較してみると、『ドラクエ』で突然、ポップな絵柄になるのがわかると思います。

ネット上に掲載されている記事を読むだけでは気づけないかと思いますが、この部分は2年前のゲームとの比較にもとづいた印象を述べているものなのです。確かに2年前のRPGと比べたら突然変化したように見えるかもしれません。

1984~1985年の日本のパソコンゲームの流れ

それでは、その2年の間に、日本のパソコンゲームの世界ではどんなことが起きていたのでしょうか?

1984年の年末から、RPGとアクションゲームの要素を融合したゲームが登場します。「カレイジアスペルセウス」(コスモスコンピュータ,1984.11)や「ハイドライド」(T&Eソフト,1984.12)などですね。

すでに「ザ・ブラックオニキス」や「夢幻の心臓」などが、操作方法の簡素化や日本向けの要素の追加などによって、RPGをシンプルにすることを試みていました。その後、アクション要素を取り入れてさらに遊びやすくしたゲームが登場したわけですね。

初期のARPGを見ると、どのゲームもプレイ画面全体のデザインがポップで明るい絵柄になっていることに気づくと思います。 具体的な例として、下図の左に「メルヘンヴェール」(システムサコム,1985.8)、右に「ハイドライドII」(1985.11)のゲーム開始直後の画面を引用しました。どちらも全体がとてもカラフルになっていますよね。

ポップで明るい画面が採用されていたARPG

ARPGの明るいイメージの影響もあったのだろうとは思いますが、アクション要素を含まない一般的なRPGの画面もしだいに明るい印象のものになっていきます。

以下の左に、「夢幻の心臓II」(クリスタルソフト,1985.12)の地上で視界の制限を除去する魔法を使ったときの画面、右にマイコンBASICマガジン1986年3月号(p.244)に掲載されていた「地球戦士ライーザ」(エニックス,1985.11)の紹介記事から、マップを表示したときのゲーム画面を引用します。

ポップで明るい画面が採用されていたARPG

初代「夢幻の心臓」の背景は「黒一色」でしたが、引用した画面を見ると、続編の「夢幻の心臓II」では「明るい黄緑色」の枠で囲むことで、画面全体が明るい印象になっていたことが確認できます。 マップの表示には見えない部分を黒ぬりにする視界の仕組みが導入されているので、序盤のプレイしか見ていないと暗い印象があるかもしれません。しかし、魔法を使って視野を広げると、この図のように明るい画面の中でプレイすることができたのです。また、この図はPC8801版からの引用でキャラクターは白一色になっていますが、X1版などでは敵もふくめたキャラクターの絵もカラフルになっていました。初代と比べると、かなり明るい印象のデザインのゲームになっていたわけですね。

「地球戦士ライーザ」も、全体の画面の印象はポップな明るいデザインだと言っていいと思います。

画面の中央右には「主人公の相棒」と「オペレータ」の顔が大きく表示されています。相棒の顔の表情は、通常は引用した画像のように「さわやかな笑顔」になっています。 そして、この顔の表情は、ゲーム内の状況に応じて変化します。例えば楽勝な敵と遭遇した場合には、少しおちゃらけた感じで笑った表情になりますし、強敵と出会ったときには真剣な表情へと変化します。アニメのキャラクターを見ているかのような楽しい雰囲気を演出していたのです。

右上には装備品の情報がグラフィカルに表示されています。白地に黒で機体が描かれていて、そこに赤や青などのあざやかな色で武装が描かれているのが確認できます。左上のマップも宇宙空間なので黒地になっていますがグラフィカルなわかりやすい表示になっています。実際の画面を見ると、おそらく多くの人がスカッとした明るい印象をもつだろうと思います。

このRPGが何をウリにしていたのか、それは当時の広告を見れば確認できます。例えば月刊ログイン1985年11月号(p.55)に掲載されていた「地球戦士ライーザ」の広告では、一番上の目立つ位置に「オドロオドロしたロールプレイにはもうあきた!スカッと行こうじゃないか!!」と書かれています。 メーカー側も、従来と比べて「スカッと」したRPGだという意識をもってゲームをプロモーションしていたわけですね。

先の記事に書かれていなかった2年の間に、パソコンのゲームではRPGを一般向けに親しみやすくする変化が次々におきていたのです。


エンディングに到達できるゲーム

国産RPGクロニクル#3」の冒頭には国内でRPGが受け入れられた理由として、次のような意見が書かれています。

僕は、そのもっとも大きな要因は「誰でもエンディングに到達できる」というRPGのとてもシンプルな特性に由来していると考えます

それ以降の文章を読むと、アーケードやファミコンのゲームはアクションやシューティングが中心で、なかなかクリアできないものだったけれども、RPGはクリアしてエンディングを見ることができる構造になっていた点が、それまでとは大きく違っていた、という主旨のことが書かれています。

ここで注意して欲しいのは、この文章には、RPGなどもふくめた「誰でもエンディングに到達できる」ゲームが「どこからもたらされたのか、についての説明」が全くない、という点です。そして、「パソコンゲーム」についての記述も一切ありません

もとの書籍のほうでは、研究所のゲームや国産パソコンゲームについても紹介されているようなので、そちらには書かれているのかもしれません。ですが、少なくともネット上で読めるこの記事には説明がないため、情報不足による誤解が生まれる可能性も否定できません。

初期の国産パソコンゲームの特徴

それでは、この記事ではふれられていない当時の日本国内のパソコンゲームの状況はどうだったのでしょうか?「誰でもエンディングに到達できる」ということには、「クリアできるゲーム」という意味もふくまれていると思いますが、実は、パソコンのゲームでは、クリアできるゲームはかなり初期から存在していました。

先の記事では、アクションやシューティングの難易度が高かった理由として、アーケードゲームが由来である点を指摘しています。回転率をあげて収益を確保するためには 3分間ぐらいを目安に、意図的にプレイヤーを「殺す」ようなバランスにする必要があったわけですね。

それに対して、パソコンのゲームは家庭で楽しむもので、アマチュアの開発者の雑誌投稿などから発展したという側面もありました。そのため、アーケードゲームのように必ずしも意図的にプレイヤーを「殺す」必要はありませんでした

例えば、日本では1979年ごろからカセットテープでのパソコンゲームの販売がはじまります。この時期のパソコンのゲームは、いわゆるミニゲーム的なシンプルなものが多く、そのジャンルも様々でした。 その中には、15パズルのような単純な「パズルゲーム」や、コンピュータとも対戦可能な「すごろくゲーム」、自動的に生成された3D迷路を脱出するだけの「迷路ゲーム」、英単語の一部の文字から正しい単語を推測する「ハングマン」のような文字当てゲーム、など、他にもさまざまな種類のものがありました。 アクションやシューティングなどではなく、こういったジャンルのシンプルなゲームであれば、普通にクリア可能だ、ということは、おそらく多くの人にも理解してもらえるだろうと思います。

当時、流行していたシミュレーションゲームの「スタートレックゲーム」なども、クリアできるタイプのゲームでした。これは広い宇宙を旅して一定の期限以内に全ての敵を倒すことが目的のゲームです。もちろん、目的を達成できればクリアということになります。

このゲームには、様々なアレンジをほどこした亜種がたくさん存在するのですが、その中には、日数の期限や敵の数、補給基地の数などを最初に指定できるものもあります。この機能を使って期限を長くしたり敵の数を減らしたりすれば、ゲームがクリアしやすくなります。また、最初に腕前を3段階の中から選択できるものもありました。今のゲームで言うところの難易度の設定みたいな機能がついたゲームが存在していたわけですね。「スタートレックゲーム」は、苦手な人でも難易度を設定することでクリアしやすくできるゲームだったのです。

アドベンチャーゲームとRPGへの展開

その後、日本のパソコンゲームのシーンでは、アドベンチャーゲームが流行します。これはエンディングのあるゲームの典型的な例のひとつですよね。もちろん海外で発祥したものですが、RPGが流行する前に、国内のパソコンゲームではとても人気なジャンルのひとつになっていました。

難易度については、当たり前のことですが、ゲームによって様々です。言葉探しが必要なゲームがあったことなどから、クリアが困難なゲームしかなかったかのように言う人も見かけますが、もちろん難易度がそれほど高くなくて普通にクリアできるゲームもありました。

例えば、初期の日本産アドベンチャーゲームとして有名な「ミステリーハウス」(マイクロキャビン,1982)のMZ-80Bテープ版やPC8801版は言葉探しが不要なアドベンチャーゲームになっていました。コマンド入力式なので、キーボードで文字を打てる必要はありますが、内容をプレイ動画で確認したところ、クリアに必要な全ての単語がプレイヤーに提示されていました。

※ここでとりあげているのは海外でシエラオンラインが開発した「Mystery House」とは異なります。

このゲームは屋敷に隠された宝を探し出すことが目的のゲームです。下で引用した画像が示すように、最初にゲーム内で使える動詞と名詞が掲載されたリストが表示されていました。その中にはひとつだけ「秘密の道具」(MZ80B版では「秘密のコマンド」)として明かされていない名詞がありました。その名詞も、最初に見つけたときに、その英単語のスペルが画面に表示される仕組みになっていました。そして、それらの単語だけでクリアが可能でした(PC88版には番号を入力するシーンがありますが、その入力すべき数値もそのまま画面に表示されます)。つまり、全ての単語がプレイヤーに提示される言葉探しが不要なアドベンチャーゲームだったのです。

ひとつだけ大きなトリックがあるのですが、それは「「動詞」を入力するだけで、「名詞」を入力しなくても動かせるものがあること」でした。極端なことを言えば、このトリックは全ての場面で単語リストの中の全ての動詞を入力すれば見破ることができるものとも言えます。それ以外の動詞と名詞の使い方は、標準的なものだったので、このトリックさえ突破できればクリアできるゲームだったわけですね。

言葉探しが不要だったマイクロキャビン版「ミステリーハウス」

また、雑誌に掲載されたものではありますが、コマンド選択式アドベンチャーゲームの前身的な事例として紹介されることのあるゲームに「スパイ00.7」(月刊マイコン1983.4, p.353-356)があります。これはプレイヤーがA国のスパイになって、敵であるB国の指令部に侵入して秘密書類を奪うことが目的のゲームです。自分は実際に遊んだことがあるわけではなく、細かなプログラムの詳細までを綿密に確認したわけではないですが、掲載されたプログラムを読んで理解した範囲で、ゲームの内容を少し紹介したいと思います。

このゲームは乱数の数当てゲームをビルの探索にみたててアドベンチャーゲーム風にまとめたものになっています。ゲームを起動すると、指令が出された後、敵の指令部の建物の絵が表示され、質問と3つの選択肢(どこから入る? 1.表口 2.裏口 3.窓)が示されます。そしてこの選択肢の中から乱数で決められた正解を選ぶことができれば建物の中へと侵入できます。このような感じで3択の選択肢から正解を選ぶと先へ進める仕組みになっています。シーンは5つあり、全てに正解すると、見つけた秘密書類が表示されるというエンデイングになります。ちなみに「その書類はA国のスパイについて書かれたものだった」というオチになっています。

3択からひとつを選ぶだけなので、誰でも簡単に遊べるゲームだと思います。また、細かい仕組みを無視して理屈から考えると、3の5乗(3x3x3x3x3=273)程度の試行回数を繰り返せば誰でもクリアできるゲーム(選択をミスしても復帰できる仕組みがあるので、実際にはもっと少ない回数でクリアできる)ともいえるだろうと思います。

初期のアドベンチャーゲームのエンディングはシンプルで単純なものが多かったと思いますが、しだいに感動的なものも増えていきます。 「デゼニワールド」(ハドソンソフト,1985.12)や「ウイングマン2」(エニックス,1986.4)ではBGMとともにスタッフロールが流れるエンディングが採用されていました。

アドベンチャーゲームの次に、RPGの流行がやってくるわけですが、このときに並行して、アドベンチャーゲームで描かれていた「物語」的な側面が、RPGへも波及していきます。例えば「ザ・スクリーマー」(マジカルズゥ, 1985)や「地球戦士ライーザ」などでは、紙芝居的なカットシーンを用いて悲劇的なエンディングを描いていました。ビジュアルシーン風のエンディングは「夢幻の心臓II」などでも採用されています。

これらのゲームのエンディングやスタッフロールなどについては、以前書いた下記の2つの文章で詳しく説明しています。良かったら読んでみてください。

話を国産RPGクロニクル#3の記事にもどそうと思います。この記事の最後には、次のような文章が書かれています。

ドラクエによるRPGの普及以降、制作者はゲームのエンディングで物語の決着をつけることを意図し、プレイヤーもそれを意識するようになりました

上で見てきたように、PCゲームの分野でゲームを開発していた製作者、特にアドベンチャーゲームを作っていた人たちは、RPGの普及前から、エンディングで物語の決着をつける意図を持っていたと思います。そして、RPGが流行してからもその意識を持ち続けていただろうと思います。もちろん、当時にアドベンチャーゲームやRPGで遊んでいたプレイヤーたちも、ゲームの中で描かれる物語を楽しんでいたはずです。 ですから、この記事の記述は、あくまでもパソコンのゲームについてよく知らない製作者とプレイヤーに限定した場合にだけ言えることだと思います。

つまり、RPGの普及前からPCゲームの関係者の多くは意識していたけれども、RPGの普及以降は「これまでよりもさらに多くの」製作者やプレイヤーが意識するようになったということだと思います。

当時のアーケードにはアドベンチャーゲームはほとんどなく、RPGに近いと言えるものもドルアーガの塔くらいしかなかったと思いますし、ファミコンではアドベンチャーゲームとRPGがほぼ同時期に登場しています。ですから、おそらくこの記述は、アーケードやファミコンのゲームしか遊んだことのないプレイヤーや、そのような経験だけで業界に入ってきた制作者であれば、あてはまることなのでしょう。

しかし、日本国内でパソコンゲームをプレイしていた製作者やプレイヤーにはあてはまらない話(ドラクエの発売前から意識していたこと)だと思います。そのことはぜひ理解しておいていただきたいと思います。


おわりに

このページでは、ネット上の気になる記事への補足として、当時のパソコンゲームの情報を提供しました。今まで書いてきた文章と重なる部分も多いですが、当該の記事を読むときの補完的な情報として参考にしてもらえたら嬉しく思います。

ちなみに、今回とりあげた記事については、自分とそれほど大きな意見の相違はないのではないかという印象を持っています。もちろん、情報不足に思う部分や誤解をまねく可能性が高いと思う部分はありますし、細かな表現や見解については反発したい部分もあります。ですが、あくまでもネット上で読める記事だけからの印象ですが、著者の方は間違いにならないようにかなり丁寧に気を使って文章を書いていると感じました。

例えば、ポップな絵柄については2年前のゲームと比べた印象として書いているだけで、ドラクエがはじめておこなった発明であるかのような記述はしていません。エンディングがあるゲームについてもドラクエの特徴ではなくロールプレイングゲーム全般の特徴として書かれています。自分が過去に書いた他の文章で問題点を指摘してきたような、ドラクエを褒めるための単なるダシとしてパソコンゲームを「利用」しているだけのものとは明らかに違っています。

自分は「ドラゴンクエスト」の功績のひとつは、パソコンゲームで実現していた様々なことをファミコンへ持ち込んだことにあると思っています。なんとなくですが、著者の方も結論としては同じようなことを考えていて、ただ、当時のパソコンゲームについてはあまりくわしくないので、個人的な経験や知識などにもとづいて書ける範囲で説明を試みているのではないかと推測しています。

自分もアーケードやファミコンのゲーム、海外のゲームなどについては詳しくないので、自分がある程度自信をもてる範囲で文章を書いているところがあります。今回の文章を書いていて、それぞれの得意分野をもつ人たちが、お互いを尊重しあいながら情報を補完しあえば、より適切な歴史と文化を語っていけるのではないかと思いました。

もちろん実際どうなのかはわかりません。書籍のほうの「国産RPGクロニクル ゲームはどう物語を描いてきたのか?」を読んだら印象が変わってしまうかもしれません。それなら実際に読んで確かめればいいと思う人がいるかもしれませんが、正直なことを言うと、書籍の目次に目を通して絶望的な気分になるんじゃないかという懸念をもってしまったので、まだ手を出していない状況です。

いずれにせよ、この文章を書くきっかけをくれた著者の方に感謝したいと思います。ありがとうございました。


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ドラクエ以前のPCゲーム関連の文章一覧
更新履歴
2024/1/8 文章一覧へのリンクを冒頭に追加。
2023/7/15 ミステリーハウスについて、MZ-80Bテープ版だけでなくPC8801版も実質的には言葉探しが不要だったので、そのことを追記。単語リストの画面を引用。文章の表現の一部をわかりやすくなるように修正。
2023/7/9 ポップな絵柄とエンディングのあるゲームについて書いた文章を作成して公開。