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初期のPC用アクションRPGについて

はじめに

このページは、以前書いた「 ドラクエ以前の国内パソコンゲーム 」 の補足です。

電ファミニコゲーマーというサイトで連載されている「ゲーム語りの基礎教養」という記事に第3回目の記事(語られざるもう一つのRPG史-ゼルダの伝説をアクションRPG黎明期が生むまで)が追加されていました。以前、第1回と第2回のパソコンゲームに関する部分に関して、間違った内容や誤読を誘うような内容があまりにも目についてしまったため、何とかしないとと思って「ドラクエ以前のパソコンゲーム」という文章を書きました。それらと比べると第3回はそういった内容はあまり目につかない印象を持ちました。ですが、それでも、やっぱり気になる部分があったので、それに関する文章を書いてみました。

近々、第4回も掲載される予定のようですし、自分の考えもまだまとまっていない中で一気に書いてしまった所もあるので、この文章の内容は後日修正や書き換えや追記をする予定です。下記の内容はあくまでも現時点でのメモと思っていただければと思います。

第4回の記事(我々は「感動の時代」を生きている。ゼルダ”以外”のアクションRPG史)が掲載されたようです。気になる部分がいくつかあるのですが、すぐに意見が書けそうなところをひとつだけとりあげて、この文章の最後にコメントを追加しました。


ドルアーガの塔について

この記事のドルアーガの塔を取り上げている部分では、アイテムを取得することで成長するというドルアーガのシステムが紹介されています。確かにそうなのですが、重要な視点が抜けているように思います。

このゲームでは、剣やアーマーやシールドなどのアイテムを取ることで主人公が成長するわけですが、その成長アイテムを取得するには「謎解きの手がかりがない」状態で、アイテムを出現させなければなりませんでした。例えば、剣や盾を取得するには、特定のステージで、メイジの呪文を3回受けたり、扉の上を通ってから敵を全滅させたりする必要があり、それらを全くのノーヒントの状態で見つけることが必要でした。確か、ゲームセンターでの情報交換を前提としていたなんて話もあったかと思います。

主人公は確かに成長はしますが、ハイドライドや他のRPGのように経験をつみ重ねることで成長するシステムとは異なり、「謎解きの手がかりがない」ノーヒントの状態でアイテムを発見することで成長するシステムだったと言えると思います。有名なゲームなのでこの点について書かなくていいと判断したのかとは思いますが、ハイドライドについて「謎解きの手がかりがない」ことを否定的な意味合いで述べているのに、その否定的な仕組みによって成長するシステムだったことについてひとことも触れていない点には、説明として偏りがあるように思いました。

記事では、この後にライフ制のアクションゲームについて述べています。さすがにドルアーガの塔がはじめてということはないだろうと思いますし、著者もここについては抑制的に書いています。自分もちょっと探してみようと思い、PC88ゲームライブラリを1984年7月からさかのぼって見てみました。そこで1984年3月に発売された「プロジェクトA」(ポニカ)というゲームを見つけました。このゲームはファミコンでいうところのスパルタンXを単純にしたようなゲームで、プレイ動画を探して見てみたところ、スタミナ性が採用されていました。ENERGYというパラメータがあって、これは通常は自動回復するのですが、プレイヤーが攻撃やジャンプなどの行動をしたときと、敵から攻撃を受けたときに減少し、ゼロになったらゲームオーバーになる仕組みになっていました。ライフ制と言って特に問題はないシステムだろうと思います。

同系統のアクションゲームならライフ制を導入しているだろうと思い、比較的有名なKARATEKAの発売日を調べたところ、APPLEII版の発売日が1984年6月のようでした。これらのネット上の情報が正しければ、ドルアーガの塔よりも前に、少なくとも格闘要素を含むアクションゲームでは明確なライフ制が採用されていたと言っていいように思います。

これらが最初だとも思えないので、アーケードなどでも探せばいろいろ出てきそうな気がしますが、著者もここは断定しているわけではないので、他の前例については他の人たちにまかせたいと思います。

ちなみに、アクションRPGの条件として「成長」と「ライフ制」をあげているのですが、そうすると例えば「シルフィード」(ゲームアーツ)などはアクションRPGになってしまうと思います。それでいいのでしょうか?まぁ、ジャンル分けにあまりこだわりすぎてもしょうがないとは思いますが、個人的には「ドルアーガの塔」はRPG的な要素を含んだゲームとしておいた方がいいのではないかなと思います。

ハイドライドについて

パソコンゲームのハイドライドとザナドゥについて「ゲームは難しくて当たり前」という風潮の中にあったのは確かですが、この2つのゲームは前半から中盤あたりまでと、中盤から後半までとでゲームの質が変化するゲームだという点は指摘しておくべきだと思います。

ハイドライドは確かに「謎解きの手がかりがない」部分が多いですが、序盤では最初から目に見えている宝箱があり、単に接触するだけで、中身を取得することができました。また、ドラキュラは1匹しか現れないのでこれを倒せば何かが起きるだろうという見当もつきやすいものでした。ドラキュラを倒すには十字架が必要、という要素も文章で表示されるわけではないですが典型的で非常にわかりやすい関係だと言っていいと思います。 ハイドライドは、前半から中盤あたりまで(川を越えてウィザードのいる島へ行くあたりまで)は特に謎解きで詰まることはなく順調に進んでいけるゲームになっていました(経験値かせぎは大変ですが)。

ゲームは難しくて当たり前という風潮の中にあって、ハイドライドは、前半から中盤までは少なくとも中学生くらいの年齢であれば(自分は小学生高学年で楽しめていたのでおそらく10代くらいの年齢で、ある程度のパソコンゲームの経験があれば)難しすぎず十分に楽しめるような作りになっていたと思います。しかし、中盤以降、ゲームをクリアしようと思うと別の側面が出てきます。クリアには3匹の妖精を見つけたり宝石を集めたりする必要があるのですが、それには特定の敵を連続で倒したり、移動する木のひとつに下からぶつったりしなければなりませんでした。これはドルアーガの塔のノーヒントの謎解きと同種のものです。

つまり、ハイドライドは、前半は成長や冒険の世界が広がっていくのを楽しめるゲームであり、かつ、クリアを目指す後半ではドルアーガの塔のようなノーヒントでのアイテムの発見を楽しむ側面が強い難しいゲームになるとも言えると思います。

ザナドゥについて

ザナドゥも前半と後半とで大きくゲームの質が変わるゲームです。こちらも前半はハイドライドなどと同じようなアクションRPGとして楽しむことができる作りになっています。武器や防具の成長やカルマキャラなど複雑な要素もあるのですが、デカキャラとのボス戦など、面白い要素もたくさんあって、前半は中高生くらいなら十分に面白く遊ぶことができるものになっていました。

しかし、ゲームの後半になると「リソース不足」の問題が立ちはだかることになります。倒せる敵や使えるアイテムが減っていき、ついには先へ進めなくなって行き詰ってしまい、そこでこのゲームの本質が「リソース管理のゲーム」であることにプレイヤーが気づくわけです。そして最初からやり直すことになるわけですが、そこから先は記事に書かれている通りで、リソース管理の戦略を考えて繰り返しプレイするゲームへと質が変化するわけです。

ちなみに、当時の自分はというと、救済措置的な裏技として敵やアイテムを復活させる方法が存在していたので、攻略本を見ながらさらにその裏技を使ってクリアしました(この裏技を使うとリソース不足がかなり解消されるので、最初からやり直さなくてもある程度のリソース管理ができていればクリアは可能だった)。

※ザナドゥのリソース管理について全く不要であるかのようにも読める文章を見かけたので少し長くなりますが補足します。

※上で述べている購入できないという話は、武器や防具のことではなく、ポーションなどのマジックアイテムのことを言っています。また、ごく一部の例外的な話ですが、本編開始後にトレーニングステージにもどる裏技がある機種もあったようで、その機種に限れば裏技を併用することでアイテムを再購入できたようです。

ザナドゥもハイドライドと同様に、前半から中盤くらいまではハイティーンやミドルティーンでも十分に楽しめるものになっていましたが、クリアしようと思うと非常に難しいゲームへと質が変わるゲームでした。

つまり、「ハイドライド」も「ザナドゥ」も、クリアするのは難しいゲームでしたが、パソコンゲームの中心的なプレイ層であった中高生以上にとっては、序盤は楽しくプレイできる間口の広いゲームでもあったわけです。おそらくそのような側面もあったために、パソコンゲームの大きな市場をつかむことができたのだろうと思います。しかし、ゲームをプレイする層へのパソコンの普及台数はファミコンと比べると圧倒的に少なく、また、当時の中高生以上のゲームプレイヤー数はファミコンをプレイしている小学生の数と比べれば少なかっただろうと思います。そのために、ファミコンゲームの規模の大きさの市場をつかむことまではできなかったのだろうと思います。

※ちなみに同時期に発売された「夢幻の心臓II」はアクション要素のないRPGでしたが、これらのARPGとは異なり、中盤以降に質が変わることなくクリアできるゲームでした。この時期のゲームではあるのでクリア不可能になること(食料がきれた状態で遠出をしてそこでオートセーブされてしまった場合など)はありましたが、シナリオディスクのバックアップを定期的にとることで対応可能でした。また、ノーヒントの謎解きやリソース不足で悩まされることもありませんでした。

ゼルダの伝説に関する解説の導入部分について

例の記事では、ゼルダの伝説に関する解説の冒頭にいきなり「PC用アクションRPGになかった要素として」と書いてありますが、これは明らかな間違いです。

1985年10月に発売された「ハイドライドII」では、NPCのメッセージによって攻略のヒントが入手できるようになっていました。ただし、ハイドライドIIは、この記事でも解説されているように、初代ハイドライドの流れを踏襲したうえでさらに難易度を上げたゲームになっていました。善悪のパラメータがあって善の状態でないと、このせっかくの会話システムを使っても重要なヒントを聞くことはできませんでした。一応、会話システムの他にサーチ魔法というシステムもあって、序盤は頑張れば進めることができる難易度になっていました。しかし、地下帝国に入るあたりから、トラップは難解でいやらしいものが多数登場し、しかも、開発者本人も言っていることなのですが、クリアにとって非常に重要なヒントのひとつを会話のメッセージに入れ忘れたという大きなミスもあったようです。そのため、攻略情報なしにクリアするのは不可能と思えるほど理不尽な難易度のゲームになってしまっていました。

その点で、ハイドライドIIは「難易度の低下」にあてはまるゲームではありませんでした。しかし、それでもなお、NPCのメッセージによってヒントを提示する要素は、PC用アクションRPGのひとつであるハイドライドIIですでに採用されていた要素です。「PC用アクションRPGになかった要素として」などといった明らに間違ったことを書かなくても、著者の趣旨は十分に説明できたはすです。例えば「PC用アクションRPGではNPCのメッセージによって言葉でヒントを与える仕組みが登場していたが、それよりもさらに容易にヒントが得られるようになっていた」とでも書けばいいだけのことです。第1回の「夢幻の心臓II」に関する記事でもそうだったのですが、単に話を誇張したいという理由だけで間違った情報を書き広めるのは止めたほうがいいと思います。

その後に書かれている文章についても上の話とからめてもし自分が書くのだとしたら、おそらく次のようになるとおもいます。「(不親切ではなく)難しさこそがサービスという「業界の常識」は、ハイドライドやザナドゥなどのような、クリアするのは難しいけれども序盤の冒険や成長の要素は十分に楽しめるゲームの登場によって、徐々に解体が始まっていた(中高生以上であればという条件はつくけれども)」。

ちなみに、例の記事でとりあげられていないゲームでは、例えば「リグラス」(ランダムハウス)もNPCのセリフでヒントを出すアクションRPGでした。発売は1986年1月のようなので(1985年との情報あり)、ほぼ同時期ではありますが「ゼルダの伝説」よりも少し前と言えると思います。

確かに「リグラス」も簡単にクリアできるようなゲームではなく、特にゲームの進め方のノリがわかるようになるまでの序盤は手探りの状態が続きます。ですが、NPCと接触すると、セリフが「フキダシ」の表現を使ったメッセージで表示され、謎解きのヒントが得られるようになっています。これも「NPCのメッセージ」をもつ「PC用アクションRPG」が存在したことを示す事例のひとつでしょう。

以下に「ハイドライドII」と「リグラス」のゲーム画面のうち、NPCがメッセージを表示している部分の事例を引用しました。ぜひ事実を確認していただいて、これ以上、誤解や間違いを広げない努力をしていただければと思います。

NPCがメッセージを出すPC用アクションRPG

体当たりによる会話について

第4回の記事のイースについて解説している場所で「「攻撃も会話も体当たり」という優しさ」という章があります。この節の最後には、ドラクエは「II」で会話が簡単にできるようになったけれども、イースではそれよりもさらに簡単になったと解釈できるような説明が書かれています。しかし、この方法はイースではじめて取り入れられたものではありません。プレイヤーが体当たりで接触するだけで会話ができるシステムは、初代ドラクエの半年も前に発売された「夢幻の心臓II」ですでに採用されていた方式です。アクションRPGで言えば、イースの半年以上前に発売された「ロマンシア」でも同様に接触するだけで会話ができていました(攻撃にはキー入力が必要でしたが)。

接触するだけで会話できるという便利な方法は、パソコンゲームではすでにドラクエが発売される前に採用されていたものです。これについては、すでに便利な方法があったにもかかわらず、ドラクエが面倒な方法を採用し、「II」でその面倒な方法を少しだけ簡単に(しかし「夢幻の心臓II」の方法よりは面倒に)したということだと思います。ドラクエしか知らない人にイースの便利さを伝えるための文章だとは思うのですが、これについては「ドラクエ」と「夢幻の心臓II」の話のところできちんと説明して欲しかったなと思いました。この節で著者はこの会話の方法について「実に理にかなってる」と賞賛していますが、その賞賛の言葉はぜひ「夢幻の心臓II」の方に送っていただければと思います。


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ドラクエ以前のPCゲーム関連の文章一覧
更新履歴
2022/12/21 NPCがメッセージを出すPC用ARPGの事例として「リグラス」の話を追加、ハイドライドIIとリグラスの画面を引用。
2022/2/25 文章の一部を赤字で強調しました。
2020/2/03 ザナドゥの一部の機種に関する例外的な話を追加。その他、細かい修正など。
2018/10/3 ザナドゥのリソース管理について補足を追加
2017/2/5 第4回目へのコメントを追加
2016/11/20 ゲーム作りの基礎教養第3回目へのコメントを作成、公開。